突然だがここで、植草事件について振り返ってみる
「何故、今頃になってその話題を?」とか、疑問に思われる人もおられるかもしれない。
しかしあの事件は、単なる痴漢事件とは違う、次の2つの意味で重要な意味を持っている。
(1)日本の国・社会のあり方。「日本が本当に近代法治国家なのか?」という問題
(2)フェミニズムなどを含む、日本の左派やリベラルがもたらした負の遺産
この2つの観点から、私はあの事件を見ていた。
最近のネットでは、参議院選挙や年金問題、久間前防衛相の発言などが主な話題になっていて、あの事件に今でも拘り続けている人はごく少数のようである。
しかしここであえて……この話題を扱っている人があまり居ない今だからこそ、参議院選挙も近いから今だからこそ、植草事件とその意味するものについて、ちょっと考えてみたい。
正直言うと、私がいきなりこんなエントリーを書くことになったのも、弊サイトに先日寄せられたあるコメントがきっかけだった……つまり、私のごく個人的な事情がきっかけだったのだが、それでも良いきっかけにはなったと思うので。
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7月4日のエントリー、『less worse の選択(2) @ 私なりのless worse』に対して、大竹さんという方から、批判的なご意見をいただいた。
ここでは、その一部を紹介する。
本文中にも出ておりますが、なぜ右派は首相の統一教会との関係に言及しないのか?など
左派は左派でなんでまた植草被告のような人を庇うのか?など
自分たちとおおむねの主張が一致してさえいれば、少々の瑕疵(少々なんてとてもいえないと思いますが)には目をつむろう。
現在の政治的言論界には、こんな空気があまりにも蔓延し過ぎていると思います。左右どちらもです。
結局それか、といわれそうですが、特に左派。
勢力維持・拡張だのパワーバランス、発言力だのそんなことを気にするより遥かに根本的原則として、
左派は誠実な批判者でなくてはいけないのではないか。
大竹さんは、「いわゆる左派・リベラルが大衆の支持と信用を失い、ネット右翼と呼ばれる人たちが増えた問題の背景には、左派・リベラルが抱えてきた矛盾や欺瞞があるのではないか?」という問題意識からこのようなご意見をよせられたのだろう。
正直なところ、同意できない部分もあったが、「左派」を称する者の一人としてかなり耳の痛いところもあった。
「左派・リベラルと呼ばれる人たちが抱える問題点」という大きなテーマについては、後日また改めてエントリーをあげて取り組みたい。
ただ今回は、コメントの中で触れられていた「植草一秀氏が痴漢の容疑で逮捕され、半年以上の長きにわたって拘留された件」に限って論じたい。
あの事件に際して私は、『雑談日記』さんが呼びかけた植草氏応援の呼びかけに応じた一人である。
だが、誓って申し上げるが、私は単に「植草氏が自分と同じ“反小泉”という立場であったから」という理由で、その呼びかけに応じたのではない。
****** ▼ 追記記事 ▼ ******
「自分と意見や立場が同じでならば、明らかな犯罪を犯したとしても目をつぶろう」という考え方がいけないのは、仰るとおり。だからこそ、植草氏が逮捕されてから最初のうちは、植草氏のことにかもうつもりは全くなかった。それどころか、「あー、これはもうしょうがないよなあ」と思っていたし、『雑談日記』のSOBAさんあたりが植草氏擁護を訴えても、スルーを決め込むつもりであった。「重要なのは植草氏が本当に犯行を行ったかどうかであって、彼がどのような主張をしていたかどうかは関係ない」と冷静に見ている人もいた。
だが、そんな私の考え方が変わり、結局は『雑談日記』さんの呼びかけに応じ、以下のようなバナーをサイドエリアに貼って、植草氏応援の意を示す73名ブロガー(注:このエントリーを書いている現在)のうちの一人となった。

何故か?
それは、以下2つの観点から植草事件を捉えるようになったからである。
(1)日本の国・社会のあり方。「日本が本当に近代法治国家なのか?」という問題
(2)フェミニズムなどを含む、日本の左派やリベラルがもたらした負の遺産
以下、私自身の弁明もかねて、説明していこう。
(1)日本の国・社会のあり方。「日本が本当に近代法治国家なのか?」という問題
最初のうちは、植草事件についてはスルーを決め込むつもりでいた。
いかに優れた小泉批判をしても、犯罪を犯した人を擁護することはできない、と考えたからだ。
だが……。
拘留期間が40日、60日を超えたあたりから、私の見方・考え方も次第に変わった。
あの段階であんなにも長い期間に拘束されるのは、変だ。法律に関して素人である私ですら、「これは明らかにおかしい」と思い始めた。
結局、植草氏の拘留は131日にも及んだ。そのような措置の法的根拠は、どこにあるのだろうか?
「証拠隠滅のおそれがあるから」だそうだが、痴漢で現行犯逮捕された人が、一体どのようにして、法定の拘留期限を終えたのちに「証拠隠滅を図る」のだろうか?
植草氏が本当にクロであるならば、きちんと法に基づいた手続きで取り調べと裁判を受け、その上で刑罰を与えられるべきだろう。
痴漢は確かに犯罪だ。が、だからといって法的根拠も不明確なままに、国家権力の恣意によって容疑者の扱いをいかようにもできる。そんなことは近代法治国家では、あってはならないことだ。
あんなことが許されるのならば、国家権力(特に行政を司る人たち)は、自分たちの気に食わない相手を、微罪や別件逮捕等で好きなように捕まえたり、檻の中にぶち込んだりできるようになるだろう。
極端に言えば、相手を冤罪に陥れることだって可能になる。過去の冤罪の例を見ると、長期の拘留や尋問に耐えかねて、嘘の自白をしてしまったことが元で凶悪犯罪者にされてしまった、などというケースはいくつもある。
そんなことがまかり通るような国は、まともではない。
私には過去に、ついうっかり慌てて、スピード違反と一時停止違反とで捕まったことがある。
法で定められた罰則(罰金や免許証の減点など)を受けるのはしかたがないだろう。
しかしもしも……法的根拠も不明確な理由で、いきなり留置場に連れて行かれ、何ヶ月も拘束されたとしたら、どうだろうか? しかもその理由が、現政権に批判的な発言をしたことぐらいしか、心当たりがないとしたら?
植草氏の件も、そのようなケースである可能性が大ではないだろうか……。
そして植草氏の一件は、「このまま安倍自公政権が続いた末の日本が、どのような国・社会になっていくか?」を象徴する事件のひとつではないか?
そのように考えるに至ったのだ。
(2)フェミニズムなどを含む、日本の左派やリベラルがもたらした負の遺産
もうひとつ。
最初に紹介したコメントをよせてくださった大竹さんの問題意識とも関係してくるかもしれないことで。
「痴漢冤罪」及び「その背後にあるフェミニズムの濫用」という観点……つまり、「フェミニズムも含む、日本の左派・リベラルがもたらしてしまった負の遺産」という観点からも、私は植草事件を見ているのだ。
植草氏の事件がきっかけで、私も「痴漢冤罪」というものについて、少しばかりかじってみた。
その実態は、かなり酷いものらしい。
一度、女性側から「痴漢」呼ばわりされて警察に突き出されたがもう最期。警察は女性側の言い分ばかり聞いて、男性側の言い分はほとんど聞いてくれない。疑いをかけられた人が、どんなに必死で弁明をしても無駄。何日も拘束されるた上に、外に知られることは、普通のサラリーマン男性にとって致命的ですらある。そのため不本意ながら、やってもいない罪を認め、金を払わざるをえなくなった。職も家族も、社会的信用も全て失ってしまった。そんな悲惨なケースもあるという。
女子学生のマナー違反(電車内の携帯使用など)を注意しただけで、「痴漢」に仕立て上げられてしまったという人も居るそうだ。「さわられ屋」といって、男性サラリーマンを痴漢冤罪に仕立てることによって、金をせしめようとする人たちも、現れ始めたという。そのうちに暴力団や、暴走族など未成年者の非行グループなどの中にも、それをビジネスにしようとする人たちが現れるかもしれない。
何故こんなことになってしまったのか。
ずばり言えば、「フェミニズムなども含む硬直化した左派・リベラルがもたらしてしまった負の遺産」のうちのひとつが原因である。
小林よしのりが「弱者権力」と呼んで批判してきたものでもある。
戦後の日本人、特に左派・リベラルと呼ばれる人たちが、絶対の真理であるかのように長くこだわり続けてきた「人権」や「平等」。
確かに、痴漢被害、及びその背後にある女性差別・蔑視などに泣いてきた人たちもいて、そういった人たちにとっては、それらがよりどころになってきたという事実はある。
だが、いつの頃からか、本来は社会正義と公平を実現するがための「人権」や「平等」を、濫用する人たちが現れ始めた。その頃から、人間を救済するための概念であったはずの「人権」や「平等」は、悪意を人たちや、自分たちの既得権益にのみしがみつく人たちが、己の言動を正当化し、批判を抑える手段としての、負の役割も担うようになっていった。
近年話題になった、企業などへの悪質クレーマー。
暴力団とも結びつき、地域の行政や社会を食い物にしている一部の同和団体など。
自分たちの既得権益にのみしがみつき、非正規雇用の若者を無視するどころか、踏みつけにしてきた旧来労組。
そして、「女性の権利」を主張するあまりに、社会的立場の弱い男性を無視(時には踏みつけにさえ)してきたフェミニスト、などなど。
そのいずれもが「人権」や「平等」などといったものをたてに、「自分たちの側のみが弱者・被害者」であるかのように考え、振舞った。
それによって、別の「弱者」や「被害者」などが生み出され、損や犠牲を背負わされ、泣かされてきた。(一部同和団体などのように)、そういった常人には抗いがたい神聖不可侵なものを利用して、利権や既得権益などを生み出した。地域で権勢をふるい、社会や食い物にする者まで現れ始めた。
そういった「行き過ぎ」や「濫用」に対して、左派やリベラルと呼ばれた人たちの多くは「待った」をかけることをしなかった。
あるいは、「できなかった」のか?
「人権」や「平等」という、自分たちが大事にしてきた概念そのものを疑うことができなかったからなのか?
「自分たちと意見や立場を同じくする人たちのやったことだから」と目をつぶってきたのか?
あるいは、自分たちの利益や既得権益のために、見て見ぬふりを決め込んだのか?
左派・リベラルの中にも、そういった動きに対して警鐘を鳴らす人も少数ながらいた。
だが結局は、そうした声も多数になることはなく、「人権」や「平等」が濫用され続けるという事態は、あまり改善されることもなく、今日まできてしまった。
そして、近年の同和団体や在日団体がらみの不祥事などのニュースを見せつけられているうちに、そうした構造を生み出してしまった左派・リベラルの欺瞞や無力さなどに、若者や大衆も気づき始める。
そこにこそ、いわゆる左派・リベラルが、大衆の支持や信頼を失っていった原因があるのではないか?
フェミニズムと痴漢冤罪の問題も、そうした流れの中でとらえたらどうだろうか。
少し古い記事だが、『世界経済を読む〜共認経済学へようこそ!』の山澤氏が、昨年12月10日に以下の記事をアップされた。
植草事件考〜平等・自由でなく公正な社会を
http://real.zoom-in.to/blogn/index.php?day=20061210
この中で山澤氏は、「男女平等という思想はいつのまにか完全に女性の権力化の道具」となってしまった。それどころかその効果に気づいた強者や権力が自己正当化と既得権益保持を図るための道具となってしまった、植草事件はそのことを表している、としている。
その上で、もはや濫用され陳腐化してしまった「自由」「平等」(そして「人権」)に代わる概念……山澤氏によれば、それは「公正」……を打ち出していくべき、と結論づけている。
「自由」「平等」「人権」などに代わる新たな概念を打ち出していくか?
あるいは、それらの濫用を抑制していく手段なり、方法なりを確立するか?
植草事件、及び痴漢冤罪は、そういった問題をも投げかけているようにも思う。
なお最後に、『雑談日記』さんの呼びかけに、71名のブロガーが応え、その他にも少なくない人たちから直接・間接の応援がよせられたことについて。
確かに「意見や立場が同じくして、しかも優れた小泉批判の論説をする人が、犯罪を犯したとは信じたくない」という心理もあったのかもしれない。
が、そんなことよりも、以上にあげたような重要な問題が、植草事件の背後にあると感じた。
だからこそ、何人もの女性ブロガーや、本来意見や立場の違う人をも含めた73名のブロガーが集まったのだと思うが、いかがだろうが。
もし植草氏が本当に有罪ならば、その論説だけは評価するが、それとは別にきちんと法に定められた刑罰を受けるべき、と私は考えている。

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