「政治(選挙)とは“best”ではなく、“better”の選択である」
依然どこかで、こんな言葉を目にしたことがある。
だが私は思う。実際はそんな上等なものでもないだろう、と。
現実の政治・選挙は、「less worse の選択(より小さな悪を選ぶ)」というものでしかない。
しかしそれでも、「選挙という政治的な意思決定の場から逃げてはいけない」ということを主張すると共に「less worse の選択」というものについて考えていきたい。
参議院選挙まであと1ヶ月をきってしまった。
そういう時期にはちょうどいい話題だろう。
ちなみに言うと、本記事のタイトルは決して駄洒落のつもりではないことをお断りしておく。

前回記事のコメント欄にて、大竹さんという方から、以下のようなご意見をいただいた。
自民党がどんな政権かというのはあまり問題ではないんですよね。
おそらく、いまの国民の意見は「とにかく民主党には政権だけは取らせたくない」に傾いてるものと思います。
理由は外国人参政権。そりゃ、これだけ隣国との緊張の高まりが報道されるなかで、たとえ地方レベルでも参政権をその緊張関係にある国籍の人に持ってもらうわけにはいかない、
とはみんなが考えることだと思います。それで、民主党だけは有り得ないが、かといって自民も我慢ならない、という人は「白紙委任状」になるんでしょうね。
実際問題、外国人参政権に関する公約を取り下げない限りは、民主党は永遠に野党でしかないと思うのですが…。
民主党は今の自民党を放置しても、またそのほかの改革すべてに優先しても、とにかく外国人参政権を実現したいんでしょうか?
本当に国民生活のことを考えているのか甚だ疑問です。小道氏は民主党の外国人参政権固執に関してどう思われますか?
| 2007-06-24 | 大竹 #- URL [ 編集 ]
「外国人参政権の付与」という問題に関してのみ言えば、私の立場は「反対」もしくは「現段階では反対」となる。
その理由は、「一部アジア諸国系の人など強い反日感情がある(と見られている)国・地域の人たちに参政権を与えて大丈夫か?」というものではない。
これから日本に進出してくるであろう外国資本(特にアメリカの巨大ファンド!)の関係者たちに、経済的な力だけでなく、政治的な権力までも与えてしまうことにはならないだろうか? そうなれば、日本の属国化と、彼らによる日本の国家資産、国民の財産までに及ぶ食い荒らしは、さらに加速するだろう。そういう懸念が私にはあるからだ。
以前ある読者さんがコメントの中で言っておられたことだが、かつて独立した王国だったハワイは、経済的にアメリカによる食い荒らしを受けたあと、外国人参政権を認めてしまった(あるいは、認めさせられた?)ために、アメリカの息にかかった人たちに政治的権力が与えられ、最後にはアメリカに飲まれてしまったという……。
それと同じようなことが、あるいはそれに近いようなことが、近い将来に日本で起こるかもしれない。
ただ、大竹さんの指摘されたことに関して、「外国人参政権そのものの是非」よりも、気になった点がある。
大竹さんも、「外国人参政権」そのものの是非を論じるよりも、
「明らかに多数派の支持を得られそうにもないにもない公約に固執している民主党は、本当に政権奪取しようという気があるのか、疑問である」と言いたかったのではないか、と見受けられるが。
確かに、「外国人への参政権付与」という案の善悪理非はともかくとしても、今の日本では多数派の支持を得られそうにもないものである。先述のように、私自身もあまり乗り気ではない。
だが、今の私は立場は
「民主党支持」である。
確かに、「外国人参政権」には賛成でないのだが。
もっと言えば、
「元は共産党支持者であったのだが、現在は消極的理由であるが、選挙では民主党に入れている」という立場である。今でも(防衛問題など一部を除いては)、私の考え方は日本共産党に一番近いのではないか、と自分でも思う。
それなのに、何故民主党支持なのか?
その理由が、
「less worse の選択(より小さな悪を選ぶ)」という考え方である。
以下、2回のエントリーにわたって、それについて論じていきたい。
まず今回は、
「どんな理由があっても、棄権がダメな理由」について論じていきたい。 理念や思想信条等が大事なのは当然である。
それを忘れた政治は、ただの薄汚い駆け引きの集合体でしかない。
しかし現実の政治は……政治だけではなく、世のあらゆることがそうなのだが……正論や主義主張だけで通用するというものではない。
正論を主張したからといって、それが通るとは限らない。
自分が「絶対に正しい」と信じていることが、他人も賛成してくれるとは限らないし、ましてや世に受け入れられるという保証もない。
いや、むしろそのままの自分を他者が受け入れてくれることの方が少ないのではないか?
その理由は明らかで、現実の社会には様々な思想信条の他に、複雑な利害関係というものがあり、ほとんどの人はその影響を受けている。自分が「これは絶対に正しい」と思うことでも、異なる思想信条や利害関係にある相手に、そのまま受け入れてもらえるとは限らない。
特に政治の世界なら、なおさらそうかもしれない。
「選挙では必ず投票しろ」とか「棄権はいけない」とか言われても、「どの候補者に投票すればいいのかわからない」とか、「特に支持したいと思う政党がない」などという人も多いのではないだろうか。
実際、「この候補者(政党)ならば、100%信頼して自分の一票を託してもいい」という人は……元から特別に支持する政党のある人たちを除いては……少ないだろう。
特に、大政党にのみ有利な小選挙区制度が導入されてからは、もともと少なかった選択肢がさらに狭まったのではないだろうか。
例えば……。
政権与党の横暴や不祥事、「金持ち優遇・弱者切り捨て」の政策には腹が立つが、かといって野党はあまり頼り
になりそうもない。
対米従属を続ける与党も嫌だが、中国や北朝鮮に迎合してきたような左翼政党も信用できない。
ある政党の福祉・経済政策には賛成できるが、外交・防衛政策には賛成しかねる。
金銭がらみのスキャンダルを起こしたA党は駄目だと思うが、女性蔑視発言やセクハラ問題等を起こした幹部がいるB党も嫌だ。
……などなど。
このように、自分が100%信頼して一票を託すことのできる候補者・政党などというものは、なかなか見つからない。
志を同じくする人と組んで、理想を実現するための政党を作るのが、最も理想的なやり方だろう。
だが現実、それは一般人にはなかなかできない。
まず、そのための「人、モノ、金」を揃えることすら、一般人には難しい。
また日本社会では、一般人が政治家として立候補することは、今ある職や地位を投げ打つことになってしまう場合も多い。いくら理想や思想信条があるからといって、そんなリスクを犯してまで立候補しようという人は、なかなかいないだろう。
さらに、政治家になったらなったで、次にはさらなる試練が待ち受けている。異なる立場や利害関係にある政治家や役人、利害関係者などと、丁々発止のやり取りをしていかなければならない。そういった人たちは、相手を自分の土俵に取り込むんだり、場合によっては骨抜きにしたり、潰したり……などといった権謀術数などにも長けた海千山千の人たちだ。最初は理想と信念に燃えて政治家になった(かもしれない)人でも、次第にそういった人たちに骨抜きにされ、取り込まれたあげく、最後は横山ノックなどのように、支持者を失望させたあげく、悲惨な末路を辿ることも少なくない。
そのようにしてまで権力を握ったとしても、そこから自分の100%理想どおりにできるか、というわけでもない。何しろ、同じ政党・グループに属している同志や支持者たちの間ですら、100%考えが同じとは限らないのだから。
以上のような困難の数々を乗り越えて、それでも政治家になろうという人もいるのだが、
圧倒的多数の一般人の場合は、与えられた……しかも限られた選択肢の中から選ぶしかなくなる。 でも……先述のように、「この候補者(政党)ならば、100%の信頼をもって自分の一票を託すことができる」というのがない場合、「結局、どこにも良い選択肢が見つからない」という場合はどうするか?
諦めて棄権するのか?
だがそれは、最も望ましくない選択肢のひとつである。 いかなる理由があっても、棄権とは主権者としての権利を、自ら放棄するに等しい行為だからだ。
自分の生活と将来にも影響を及ぼすであろう大事な政治的意思決定に参加し、主張する権利を投げ出すことであるからだ。
政治だけでなく、この世のあらゆるところで言えることだが、
戦って自らを守ろうという意思すらない者……自ら主張や意思表明すらしない者を助けてやろうなどというお人好しは、まずいない。
「自らと大事なものを守ろう」という必要最低限の気概すらない人は、残念ながら誰も救うことはできない。 自らの運命を、極端に言えば生殺与奪の権利を全くアカの他人にのみ委ねてしまうも同然だからだ。その他人が、あなたのことを思いやってくれるのならばいいのだが、そんなことはまずないだろう。自分を支持してくれたわけでもない、何か利益をもたらしてくれるわけでもない、何か特別に圧力をかけられるわけでもない。そんなあなたのことまでも配慮してくれるヒューマニストが、現実にどれだけいるだろうか?
結局、(自称)選ばれた者たちは、権利を放棄したあなたの権利や財産、時には生命や尊厳までもを犠牲にして、自分とその身内、利害関係者だけで利益を得て、守ろうとするだけだろう。
したがって、棄権した人たちを待ち受けている運命は、幸福なものであることはまずない。
その人が、「勝ち組」と呼ばれる大金持ちか、「エリート」と呼ばれる地位にあるか、あるいはよほど特別なコネ等がある人でない限りは。
政治的な意思決定・パワーゲームへ参加する権利を放棄するとは、そういうことだ。 現に、現在の安倍自公政権を見てみるといい。
非常にいい……というか、わかりやすい例だからだ。
年金・保険問題という(特に老後や病気などの時に)国民生活に密接に関わる重大な問題に関して、じっくりまともに議論することもせず、多数の力に任せた強行採決を連発している。
また、「参議院選挙前の国会会期延長」という無理をしてまで時間を確保したはずなのに、自分たちに都合の悪い突込みをしそうな野党議員の追及は無視・封殺している。
大手マスゴミ(もとい、マスコミ)が、真実をなかなか伝えてくれないようだから、「何が起こっているのか?」「その意味することは何か?」が、わかりにくいという人もいるかもしれない。
でもちょっと考えてみてほしい。
もし、多くの人が知って納得できるような内容の法案・採決ならば、「強行採決の連発」などという無理・無茶を重ねてまで押し通す必要があるだろうか? 答えは……だいたい想像つくだろう。 おそらくは、もっともらしい理屈をつけながら、あとは「ボーナス返上」などといった反省したフリのパフォーマンスでもして、選挙後は適当にお茶を濁して責任逃れを図るのではないだろうか。
そういう意図がミエミエだ。少なくとも私にはそうとしか思えない。
もちろんそうなった場合、あなたがもらえるべき年金を受け取る確率は、確実に減る。少なくとも増えることはない。
さらに言えば、
社会保険庁「民営化」などという、国民の批判を<逆手に取り、「国家資産・国民財産のアメリカ資本への売却」を狙った悪質かつ売国的な策動も見られるではないか。
そんなものが実現したのなら日本社会は、「高額の保険料を払える一部の金持ち以外は、怪我や病気などの非常時にもまともな医療を受けられない」という、アメリカ社会のような恐ろしく悲惨な社会になるだろう。
これだけでも、「棄権という形で、現政権に“白紙委任状”を与える」ということが、どれだけ大変なことか想像していただけるだろうか。
他にも、その危険性を示す例は枚挙にいとまがない。
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以上、長々と「棄権」及び「棄権という形での現政権追認の危うさ」について述べてきた。
結局は、与えられた……しかも狭い選択肢の中から選ぶしかないのだ。
誰の言葉だったか忘れたけど、こんな言葉あった。
「政治(選挙)とは“best”ではなく、“better”の選択である」
だが、私は思う。
しばしば現実の政治は、“better”の選択ですらない。
そんな選択ができる人は、まだ幸せな方である。
現実の政治・選挙は「“less worse”(より小さな悪)の選択」でしかない。 どこか問題あるのある選択肢の中から、少しでもマシなものを選ぶ。
極端な言い方をすると、
「悪」ばっかりの選択肢の中から、「より小さい悪」を選ぶなどというものかもしれない。
そうすることによって、自分の権利や生活を脅かす「より大きく危険な悪」に歯止めをかけるくらいにはなる。
少なくとも、「選択肢がない」と嘆いているだけでは何もならない。
まずは“less worse”であっても、政治の意思決定、パワー・ゲームに参加する権利と機会を捨てないこと。
はっきり言ってどうしょうもない現実を直視し、それでもなお現実と戦うことをやめない。それでいて現実に可能な手段と選択肢を見極めようと努力する。
そういった人の理想と信念のみが、自分とその権利を守ることができる。現実を少しでも良い方へと変えることができる。
さて、今回はまた長くなってしまったので、このあたりで一旦切る。
次回の続編では、私なりの「“less worse”の選択」について論じたい。
多分に……いや、ほとんど私的な意見ばかりだから、あまり良い見本や参考にはならないかもしれない。
それでも「“less worse”の選択」について、より考えていただければいいと思う。

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