この国を大きな閉塞感が、虚無感、無力感、絶望感が覆っている。
「何をしても変わらない」
「誰が政治家になっても同じ」
「金も権力もない我々一般庶民は、ただ為すすべもなく支配され、踏みつけられ、絞られ続けるしかないのか」
……などなど。
あの歴史的な政権交代から2年あまり。
多くの有権者の期待と希望を背負って始まったはずの政権交代のはずだった。
だがそれが今、見るも無惨な結果になり果ててしまった。
それゆえに、「もう日本は、何をやっても変わらないのか」という虚無感、無力感、絶望感が漂っている。
だが、その原因は明らかだ。
少なくとも、政権交代前後からの政治や社会の動きを注意して見てきた者にはよくわかるだろう。
誰が、何故、どのようにして、政権交代を潰していったかを。
民意を歪め、政治もダメにして、日本を理不尽や無責任がまかり通る社会にしてしまったのかを。
財界。
役人(官僚)。
学界。
司法。
マスコミ。
彼らの頂点に君臨する宗主国・アメリカ。
実は彼らの尖兵だった似非右翼・似非愛国者たち。
さらには、彼らと対極にあると思われた一部の左翼政治勢力まで。
自民党政権を倒しても、彼らが皆グルになって、彼らが既得権益を貪ってきた旧体制の仕組みを少しでも変えようとしたり、脅かそうとした人物や集団を潰しにかかる。
有権者大衆から情報を隠蔽し、誤魔化し、時には冤罪やスキャンダルなどをでっち上げてまでも叩き潰す。
そこには道理や法原則なども何もあったものじゃない。
民主主義どころか、近代法治主義ですらない。まるで中国や北朝鮮の如き無茶苦茶な全体主義の実態である。
この国の、この国を長らく支配してきた者たちの実態が明らかにあり、それは政権交代が行われてから、より露骨さを増している。
そこに全ての、この国の諸問題の元凶がある。
日本国民はそうした現実を理解し、何とかしていかなければならないだろう。
(2011年10月4日小路)

では以下に、役人(官僚)や司法、マスコミ、似非右翼暴力集団などがグルになって、特定の権力者たちの利益を守るために、不正と理不尽によって、国・社会のあり方を歪め、国民に絶望と無力感を広めている例をとりあげていきたい。
*脱・反原発デモ参加者への不当逮捕と似非右翼暴力集団の暴力黙認 まずは冒頭の動画をご覧いただきたい。
この画像は、かつて
2011年8月22日の記事でもとりあげた、「在特会」という似非右翼暴力集団が、脱・反原発デモへの参加者に聞くに耐えない罵声を浴びせ、挑発を繰り返している様子だ。
さらに、それに抗議しようとした人を何と、警察が不当逮捕しているというものだ。
ところが、罵声や挑発を浴びせ、さらにドサクサまぎれにデモ参加者に暴力までふるった似非右翼暴力集団には、何のおとがめも無し。警察も彼らの無法に対しては見て見ぬふり。
さらに以下、ジャーナリストの岩上安身氏らがその模様を伝え、解説する動画もある。冒頭の動画と併せて視れば、どういう状況だったか、より詳しくおわかりいただけるだろう。
また以下に、岩上安身氏と有名な反原発右翼・鈴木邦夫氏との対談の様子。
似非右翼集団の背景について、鈴木氏が語っているところも興味深い。
Video streaming by Ustream 2011年8月22日の記事でもとりあげたように、
どうやら「似非右翼暴力集団と警察・司法がグルだった」とか「両者はグルだった」などという噂は本当だったようだ。 さらに、
「読売“政治警察”新聞」や、
「産経“暴力助長”新聞」などの
悪徳御用メディアが、こうした似非右翼暴力集団や腐敗した司法・警察とグルになっている疑いも出てきた。 彼らが直接グルになっていない、癒着していなかったとしても、こうした悪徳御用メディアが警察側の言い分のみを無批判に垂れ流したり(あるいは、似非右翼集団の無法や暴力の事実を見て見ぬフリして報道しなかったり)することによって、「反原発=過激派、暴力集団」などという印象操作が行われる。
おそらくこれは、これは「脱・反原発」に限った話ではないだろう。
こうした司法、警察、マスコミ、似非右翼集団などがグルになった謀略や情報操作などによって、特定の権力者にとって不都合な運動が「過激派」や「暴力集団」などに仕立て上げられて潰されたり、無力化させられたりしてきたのかもしれない。
*鉢呂前経産相を辞任に追い込んだ「言葉狩り」 野田内閣で経済産業相に就任した鉢呂吉雄氏。
だが、就任間もない2011年9月9日、その前日に訪れた福島県の東京電力福島第一原子力発電所の周辺市町村の様子を「市街地は人っ子一人いない、まさに死の街という形だった」だと表現したことが問題視され、後に発言を撤回し、陳謝する騒ぎになった。
また、非公式の取材の場で着ていた防災服の袖をその場に居た記者に擦りつけ「放射能をつけたぞ」という趣旨の発言をしたとの報道が行われ、それらが元で経産相辞任に追い込まれた。
以上が、鉢呂前経産相の辞任騒動の大まかな内容だ。
だが……決して野田政権の味方をするつもりはないのだが、この辞任騒動も考えてみればおかしな話である。
まず、東電福島原発周辺の様子を「死の街」と表現したことについてだが……これのどこが問題なのだろうか?
確かに、被災地を「死の街」だと言われて、傷ついたり、ショックを受けたりする人も居るかもしれない。
だが、それが原発事故の現実という奴ではないのか? それこそが、他の災害にはない原発災害の恐ろしさというものではないのか?
少なくとも「放射能は安全です」といういい加減なことを言って、多くの人々を放射能被害の危険に晒している政治家や御用学者よりはよほどマシなはずだが……でも、そういった人たちはほとんどおとがめなしで、現在ものうのうとしている。
そして、「放射能をつけたぞ」という悪ふざけをしたという話に至っては、実は事実関係が非常に曖昧というか不明確で……
はっきり言えばマスコミによる捏造・謀略である疑いが濃厚である。 以下は、東京新聞・中日新聞論説委員の長谷川幸洋(はせがわ・ゆきひろ)氏が鉢呂前経産相に直接インタビューして書いた記事であるが、当事者から聞いたあの騒動の実態と、そして「何故、鉢呂氏があの騒動で辞任に追い込まれたのか?」がわかりそうな貴重な記事である。
*当事者が初めて語った「放射能失言」の裏側!鉢呂経産大臣は原発村を揺るがす「原発エネルギー政策見直し人事」の発表寸前だった(長谷川幸洋『ニュースの真相』2011年9月14日記事) この記事の中で鉢呂氏は、以下のように言っている。
「『(放射能を)うつしてやる』とか『分けてやるよ』と言った記憶は本当にないんです。もしかしたら『ほら』という言葉は言ったかもしれないが、それさえ、はっきり覚えていない。『ほら、放射能』という報道もあったが、放射能という言葉を出したかどうか分からない」
「はっきり言えるのは、私が防災服を記者になすりつけるような仕草をしたことはないっていう点です。一歩くらい記者に近づいたことはあったかもしれないが、なすりつけるようなことはしていない。そんなことがあれば覚えています」
「(記者は発言を録音)していなかったと思う」
鉢呂氏の言い分を信用すれば、「放射能をつけたぞ」という悪ふざけをしたという事実があったのかどうか、非常に不明確である。
さらに(もう既によく言われていることだが)、この問題を報じた各紙の報道では鉢呂氏の発言内容が、各紙で違っている。
「放射能をうつしてやる」(産経新聞 9月9日 23時51分)
「放射能をうつしてやる」(共同通信 9月10日 00時07分)
「放射能をつけちゃうぞ」(朝日新聞 9月10日 01時30分)
「放射能をつけたぞ」(毎日新聞 9月10日 02時59分)
「ほら、放射能」(読売新聞 9月10日 03時03分)
「放射能をつけてやろうか」(日経新聞 9月10日 13時34分)
「放射能を分けてやるよ」(FNN 9月10日 15時05分)
普通、新聞記者が大臣の発言内容を記事にする時には、メモをとるだけでなく、ボイスレコーダーも使って正確な発言内容を録音するというから、このように各紙によって言い方が異なっているというのは、普通はありえない。
特に、
「第一報を報じたはずのフジテレビ記者が、問題の鉢呂氏オフレコ会見の場に居なかった」とか、「肘テレビの捏造であった」などの疑いがいよいよ濃厚になっている。 ずばり言えば、
鉢呂氏辞任に至ったこの「放言騒動」は、マスコミによる捏造報道の可能性大ということである!
では何故、「官僚・マスコミなど既得権益層に媚びへつらう野田内閣」の一閣僚である鉢呂氏が経産相辞任に追い込まれなければならなかったのか?
その手がかりも、
上記記事の中に書いてある。
これも
記事中インタビューでの鉢呂氏の言い分を信用すればの話だが、
何と鉢呂前経産相は、「脱・反原発の意見を政策決定の場に反映させようとしていた」というのだ。それゆえに、「経産官僚など原発推進派とグルになったマスコミによってはめられ、潰されたのではないか」という疑いも出てきた。 上記記事から、その問題部分を以下に飲用してみる(
赤字部分は筆者による色づけ)。
そして、ここからが重要な部分である。
-脱原発依存やエネルギー政策はどう考えていたのか。
「政府はエネルギー政策を大臣レベルの『エネルギー・環境会議』と経産省の『総合資源エネルギー調査会』の二段構えで検討する段取りになっていた。前者は法律に基づかないが、後者は法律(注・経産省設置法)に基づく会議だ。調査会は今年中に中間報告を出して、来年、正式に報告を出す方針だった」
「このうち総合資源エネルギー調査会は私が着任する前の6月段階で、すでに委員の顔ぶれが内定していた。全部で15人のうち3人が原発反対派で残りの12人が賛成派だ。私は事故を受けて、せめて賛成派と批判派が半数ずつでないと、国民の理解は得られないと思った。それであと9人から10人は反対派を加えて、反対派を合計12、3人にするつもりだった。委員に定数はないので、そうすれば賛成と反対が12人くらいずつで半々になる」
-それには役所が抵抗したでしょう。
「役所は『分かりました』という返事だった。私が出した委員候補リストを基に人選を終えて、後は記者発表するばかりのところだった」
-もう一度聞くが、それで役所と激論にならなかったのか。官僚は面従腹背が得意だ。
「私は最初から強い意思で臨んでいた。私は報告書の内容が必ずしも一本にならず、賛成と反対の両論が記載されてもいいと思っていた。最終的にはエネルギー・環境会議で決めるのだから、役所の報告が両論併記になってもいいでしょう。私のリストは後任の枝野幸男大臣に引き継いだ。後は枝野大臣がどう選んでくれるかだと思う。」
この話を聞いて、私は「これで鉢呂が虎の尾を踏んだ可能性がある」と思った。鉢呂は大臣レベルの会議が物事を決めると考えている。ところが、官僚にとって重要なのは法律に基づく設置根拠がある調査会のほうなのだ。
なぜなら、法律に基づかない大臣レベルの会議など、政権が代わってしまえば消えてなくなるかもしれない。消してしまえば、それでおしまいである。ところが、法に基づく会議はそうはいかない。政権が代わっても、政府の正式な報告書が原発賛成と反対の両論を書いたとなれば、エネルギー政策の基本路線に大きな影響を及ぼすのは必至である。官僚が破って捨てるわけにはいかないのだ。
引用ここまで。
おわかりいただけただろうか?
どうも鉢呂氏本人もその重大性に気づいてなかったようだが、
もし鉢呂氏の出した調査会の人事案が実現していたのならば、その後の原発・エネルギー政策に大きな影響を与えることになったのだ! 今まで、どんなに「脱・反原発」の声が上がり、どれだけデモが行われても、それが実現することがなかった大きな理由のひとつは、「脱・反原発の意見が政策決定に反映されることも、影響を与えることもなかったから」である。
だが、
鉢呂氏の調査会人事案が実現していれば、「脱・反原発」の意見が政策に影響を与えることに……脱・反原発の流れにとっても大きな前進となっていたはずであった。
だがそれゆえに、本音では原発利権に固執する官僚やマスコミなどの既得権益層にとって邪魔な存在とされて、あのような「騒動」「捏造報道」で潰されたのだろう。 なお今回の辞任騒動では、いわゆる「原発推進派」「政府寄り」とされている読売・産経だけだなく、表面上は「脱・反原発」の意見もとりあげているかにみえる朝日・毎日までもが、「捏造報道」によって鉢呂氏を辞任に追いつめる側に回っていた。
おそらくこのことは、日本の大手マスコミの現状というか、実態を象徴している。
表面上は、大手マスコミ各社いろんな立場や意見があるように見える。
しかし本音の、根本の部分は他の既得権益者たち(財界、官僚、旧政権与党など)と利害を同じくし、肝心なところで……自分たちの利権や既得権益が決定的に脅かされそうになると、「捏造」「情報操作」「世論誘導」などの汚い謀略をもってしてまで、変革や、変革をもたらそうとする人物や集団を潰しにかかる。
こうしたことは、原発問題だけに限ったことではない。
戦後もずっと、そして政権交代が起こった後も、こうして変革の目は潰され続けてきたのだ。理不尽や無責任が温存され続けることになったのだ。
そしてその度に、変化を望みながら裏切られた国民の間には、失望・絶望や無力感だけが残されてきたのだ。 今回もそれを、まざまざと見せつけられたような思いだ。
特に政権交代以降、こうした既得権益者たちの動きはますます露骨になってきている。
もっとこうした例をあげて、この問題をとりあげていきたいが、この記事もかなりの長文になってしまったので、今回はここで一旦切る。
続きはまた次回か、あるいは「閑話」をひとつかふつたつ挟んでから書きたいと思う。

- 関連記事
-
スポンサーサイト
テーマ:これでいいのか日本
- ジャンル:政治・経済