また返事が遅くなってしまいました。
>kaetzchenさん
とむ丸さんの記事『私たちは扇動されやすい』を、私も非常に興味深く読みました。
「無知な大衆が……」とは言いますが、私も「大衆」の一人であったりします、多分(少なくとも、特別に優れた見識や判断力を持ったエリートではないことは確かです)。
「もしかしたら、自分も誰かに煽られて、利用されているだけではないか? それは本当に自分の考えで言っているのか?」
時々、そんな思いを抱きながら、思索し、ブログの文を書いております。
ところで、大衆の中に戦争を臨む土壌と、現実の戦争に対する想像力の無さ(注:私は思うのですが、この想像力の欠落こそが、本当の平和ボケであると思います!)があったことに注目したところが、特に興味深かったです。
ところで以前、『だまされることの責任』という本を読みましたが、それを思い出してしまいました。
http://www.koubunken.co.jp/0350/0329.html 特に、敗戦の翌年に書かれた映画監督・伊丹万作の論説が収録されていますが、そこに書かれてあるのは、まさにとむ丸さんが指摘されたことです!
「だまされるということ自体がすでに一つの悪である」
「あんなにも雑作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己のいっさいをゆだね……『だまされていた』といって平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう」
これら伊丹監督の言葉は、現在でも通用しそうだと思うのですが……本当はあまり良いことではないのですが。
この話題も、また機会を見てとりあげたい話題ですね。
>つまり,死刑囚には事実上の自殺未遂に近い,意図的な凶悪犯も含まれるということなんですね。こういう人は反対に終身刑または懲役刑にして,一生,自分がかけた迷惑を償わせるべきでしょう。だから,実質的な治安維持法による,思想犯検挙とそのでっち上げ裁判が一番恐ろしいんです。植草氏の例が典型例ですよね。とにかく彼を国外へ出したくない(亡命されたくない)というのが見て取れます。
支配者(指導者)と民衆とで、死刑を適用するかどうかを区別するというのは、私見としては、いかがなものだろうか、とは思いましたが。
「なるほど、そういう考えもあったのか!」と、思いました。
話は変わりますが、『反日ブログ監視所』が新館の方で活動を再開させたようですね。
まあ、そう簡単にくたばる連中でもないという気もしてましたが。
美爾衣さんへの攻撃は、まだ続きそうなのも気になります。
以前言いましたように、反安倍と護憲・反核を唱えるインテリ女性を集団でいたぶることを喜んでいるのか?
「AbEnd」の中心的人物の一人でもある彼女が、よほど目障りなのか?
その両方か、あるいは……?
いずれにせよ、美爾衣さんへの攻撃に関しては、ちょっと注意していきたいと思います。
おそらくは、「反日監視」と称した、反安倍ブロガーへの攻撃も続くことでしょう。
それにしても、一度「サイト凍結」という処分を受けるほどの悪質行為をしておきながら、今度は管理人の名義を換えた別サイトを同じFC2で運営し、さらに凍結処分された旧サイトと同じようなことを続けるっては、いかがなものかと思うのですが……。