>山澤さん
どうも、お久しぶりです!
幣サイトの記事紹介と貴サイトからのTB、ありがとうございました。
植草事件について私は、2つの点を問題視しております。
ひとつは、『雑談日記』のsobaさんやkaetzchenさんなどがご指摘のように、「日本がもはやまともな法治国家でなくなりつつある」、「お上に都合の悪い発言をした者には法的根拠無く制裁が加えられる全体主義国家となりつつある」ということです。
もうひとつは、山澤さんもお気づきのように、「弱者の権利」とか「自由」「平等」などといったものが濫用され、いつの間にか強者や悪意ある人たちに利用される詭弁と化してしまい、結局多くの国民大衆にとって不利益をもたらしてしまう、ということです。
もちろん、現在でも差別などに泣いている人、実際に痴漢被害に遭っている女性の皆さんなど、本当の弱者もいるわけですので、一方ではそのことも忘れてはならないと思います。
だから、この記事を書くときは正直、ちょっと迷いました。
でも、ここはどういう形であれ、言わなければならないと思い、結局記事にしました。一人でも多くの人に、少しでも共感して、問題に取り組むきっかけとしていただければ幸いです。
なお、拘置所でのお仕事で感じたことも、差し支えのない範囲でブログ記事等にしていただければ、面白いと思いますが、いかがでしょうか?
余談:
『死ぬのは奴らだ』さんサイトをチェックされている山澤さんなら既にご存知かもしれませんが、最近以下の記事を見つけました。
2006年12月06日
国民全員が苦しむ平等 戦争を切に願う
http://anarchist.seesaa.net/article/29070505.html 私はこの記事を読んで、胸が締め付けられそうな気持ちになりました。ここにいる赤城氏の姿は、一部はやはり「負け組」の一人である私の姿でもあります。
記事の赤城氏を批判や突っ込みを入れることは簡単です。
しかし、非右派(左翼やリベラルなども含む)は、このような「真の弱者」に届くメッセージやヴィジョンを発して来ただろうか?
そう考えると、赤城氏のような人や、ネット右翼に走る若者を批判だけしていればいいのだろうか? そういう気持ちになってきます。