私自身、幣サイトにて政治的発言をし、また
「AbEnd」などといったものなどにも参加して、時々思うことがある。
「それに賛成するか、反対するかはともかく……私の主張を理解しくれている人はどれだけいるだろうか? いや、それ以前にきちんと読んでもらえているのだろうか?」
それを考えながら書き、アピールしなければ、「仲間内だけの議論」や「単なる自己満足」だけで終わる危険性もある。
特に、我々のように格差社会の問題等について語る場合は、「普段は政治にも関心なく、活字に馴染みのない若者・労働者」などにも読んでもらうことを考えた方がいいだろう。
かくいう私自身も、「ほとんどワーキング・プアーの下層3K労働者」の一人である。それゆえに、「いわゆる“下層”や“負け組”の人たちにも届くようにするには、どうしたらいいか」を、自らの立場や体験にも照らし合わせて考えることができると思う。


幣サイトでは、しばしば政治や経済などの話題も取り上げる。
そうした中で先日、参考になる……というより、ふと考えさせられる記事を読んだ。
『雑談日記』11月27日の、以下のエントリーだ。
祝「<安倍内閣>支持率14ポイントの大幅減 毎日世論調査」
http://soba.txt-nifty.com/zatudan/2006/11/post_a337.html 以下、一部を引用しながら話を進める。
5、文字だけのブログは書いている当人には意外かもしれませんが、当然のこととしてあまり読まれないと思います。よほどユニークな視点を連発しない限り読まれない。僕自身も読んでいません。(笑)同じ立ち位置の人には「どうせ自分と同じ考えだろう」、反対の側の人には表題が硬ければ最初から見向きもされない。
( 中 略 )
7、政治的な話題が多いブログの場合、仲間内だけで通じる言葉が狭い範囲でグルグル回っている傾向があります。こういう状態は避けるべきです。そのためにも猫ちゃん活躍のAbEndバナーは話題性もあり外に広がるきっかけになります。
( 中 略 )
9、以前、日記風のブログは駄目と考えていました。しかし、最近では考えが少し変わりました。結構いいのかも知れない。5と関連しますが、ユニークなものしか読まれません。個人の体験はユニークの塊り、ユニークそのものでしょう。日記風エントリーにバナーを組み合わせるといいバランスがかもし出されます。
で、結論。オシャレなブログは、「バナーをサイドエリア等にはり、立ち位置を明確にしておいた上で、日記風でも良いからなるべく毎日書き、雑談ネタの合間に5回に1回くらいの割合でもよいから辛口の政治ネタを時々書く」。これです。
まず「5、文字だけのブログは書いている当人には意外かもしれませんが、当然のこととしてあまり読まれないと思います」という部分について。この部分を読んで、私は少々ショックを受けた。
もしかしたら、私の他にもショックを受けた人もいるのではないか。
というのは、文章だけのブログであっても、書いてる当人は、それぞれ自分なりに一生懸命に書いているからだ。文章が上手いかどうか、それに対する賛否などはどうか、などはともかくとして、私自身もプライベートの時間を削って、それなりに一生懸命書いている。
それが「実は読まれていない」というのだ。 だが……。
ここで自分が読者である場合に、照らし合わせて考えてみる。
「では自分は、他人が書いた文章を全て読んでいるだろうか?」
そういう自分も……実は読んでいない。というより、なかなか読めないのだ! お気に入りのブログも、毎日チェックできているわけでもない。特にこのところは、なかなかネットにかまっていられる時間が少ないこともあって。
もちろん、せっかく一生懸命に文章を書いていただいている人たちに申し訳ない、という気持ちもある。また、どの人も頑張って面白い記事を書いておられるのはわかる。
しかし現実問題として、毎日いくつものブログ文を読むのは、私には無理である。 それは、記事内容がつまらないからでは決してない。
それだけの時間的余裕とバイタリティが、私にはないからである。
何しろ、貧乏暇なし、安月給の3K肉体労働者である。毎日きつい仕事が続く。残業等もよくある上、夜勤や休日出勤等も少なくない。そんなわけだから、毎日疲れて帰ってくる。帰って夕食をとれば、それまでの疲れがどっと出て、もう眠くなってくる。
一応は自分のサイトも持っているので、少しずつでも記事を書いたり、サイトの管理もしなければならない。
相互リンクを結んでいる友好ブログや、プラウザの「お気に入り」に登録したサイトも増えてきた。それだけ楽しみが増えたわけだが、毎日それら全てを見ることはさすがにできない。
理由は、以上の通りである。
ここまでは、私自身の話である。
私の読者となってくれる人たち、及び読者とすべき人たちというのは、どういう人たちだろうか?
特に最近では、ほとんど政治や荒らしなどの話ばかりしているのだから、今読んでくださっている読者さんのほとんどは、政治等に特に関心を持っている方々だと思う。
だが、それだけでは不十分だ。それでは、「似た者同士や仲間内だけでの自己満足」に終わってしまうおそれがある。「それだけでもかまわない」というのならば、それはそれで否定はしない。ただ私個人としては、「それだけでは終わりたくない」という思いもあるし、同じように考えておられるサイト管理人さんもおられるだろう。
では、どうすべきか。
我々のように、特に格差社会の問題を取り上げる者、また
「AbEnd」などの活動に参加している者にとって重大なこと。
それは、仲間内だけで終わらせず、広く外部の人たちにも訴え、アピールすることである。普段は政治に関心のない若者、「フリーター」とか「ワーキング・プア」などと言われている、いわゆる「負け組」……格差社会化の犠牲となっている人たちにも届かなければならない。 だが、現実はどうだろうか? 我々の主張やアピールは届いているだろうか?
とてもじゃないが、そうは思えない。
若者や、いわゆる「負け組」の人たちに、「もっと政治に関心持て」などと偉そうに説教するのは、簡単だ。だが、その前に……我々はそのような人たちに聞いてもらうような努力をしてきただろうか? もっと言えば、訴えかけるべき相手のことを、どれだけ我々は考えてきただろうか? 例えば、訴えかけるべき人たち……「フリーター」や「ワーキング・プア」などの人たちは、どんな状況にあるだろうか?
おそらくは、この私のように「貧乏暇なし」という状況だ。毎日、仕事などで疲れてヘトヘト。とてもじゃないが、いくつもの政治ブログに目を通し、慣れない長い文章を読んでいる余裕など、なかなかない。というか、仕事を持っている社会人はたいていそうではないだろうか? いや、よほど特別に関心を持っている人や、暇人や学生、あるいは「プロのネット活動家・工作員」などでなければ、毎日多くのブログに目を通し、長い文章を読む余裕など、とてもじゃないがない。
とすると我々は、もっとそのような人たちにも気軽に読んでもらえるように、読みやすいように配慮・工夫をする必要があるのではないか? 論理や正論にこだわるのもいいが……いや、もちろんそれも必要だが、それだけではない。論理や主義主張だけでなく、それ以外の部分(世間に対するアピールや、パワーゲーム等?)もまた、現実の政治を構成している。特に、左翼やリベラルなどと言われる人たちは、そこを見落としがちのように、私には見える。
もうひとつ。
多くの優れた政治経済のブログ等を読んでいると思うのだが、その中に自分も拙い文章で参加していている意義・意味は一体何か?
その中で、自分自身のウリとなるものは何か?
冒頭に紹介・引用した
『雑談日記』記事のように、ユニークといいうか、オリジナリティというか、自分自身がウリとなるものがなければ、なかなかきちんと読んでもらえない。
例えば
『晴耕雨読』さんなどは、経済等に関するかなりの専門性を持った人のようだが、あれだけの専門性は、私にはない。テレビや新聞、ネットニュースなどで見聞きしたニュースについて書くだけでは不十分だろう。他にも同じ話題で書いている人は、たくさんいる。
では、自分自身のオリジナリティというか、ウリとなるものは何か?
やはり冒頭に紹介・引用した記事にそれを探すヒントがあった。
自分自身の体験及び立場は、自分だけのものだ。ユニークさやオリジナリティの固まりである。
そこで私は、自分自身を振り返ってみる。
私の場合は、大学は出たものの落ちこぼれて3流会社にしか就職できず、「ワーキング・プア」も同然の安月給で3K肉体労働に従事しているという、いわゆる「負け組」と言われる者の一人だ。
だが逆に言えば、この立場から得られる視点や、そこからの考察などが、今の私のウリになるのではないか。 例えば、格差社会の問題を考えるにあたっても、まさに「負け組」(競争に勝てずに、その犠牲となってしまった人たち)に近い立場にいる。というか、まさにその立場にいる。そういった人たちの立場や気持ちなどが比較的わかりやすい位置に、私はいる。
「いわゆる負け組にとって、小泉・安倍政権と続いた新自由主義路線とは何か?」
「その犠牲者であるにも関わらず、新自由主義を勧める小泉・安倍政権を何故、支持するのか?」
「我々が考えていることは、本当に負け組の人たちにとってありがたいものなのか?」
などの問題を考えるには、ちょうどいい位置にいる。
また私は、もう半年以上もいわゆるネット右翼など、ネット上で荒らしなどの悪質行為を行い、言論封殺を企む人たちの問題に微力ながら取り組んできた。自ら何回か彼らの攻撃を受けながらも。その経験や、そこで考えたことなども、私のウリとなるのではないか、と考えている。
「何故、いわゆる左派やリベラルに人たちは、ネット右翼から攻撃を受けるのか?」
「何故、それらの悪質行為に対して十分な対処ができないのか?」
「何故、多くの負け組の若者が、左派やリベラルよりもネット右翼に走るのか?」
「こういった悪質行為にどのように対処するべきか?」
などなど。こういった疑問について考えられる位置にも、私はいる。
その意味では、ある意味私は恵まれているのかもしれない。
以上のことをふまえて、今後は幣サイトの記事の方針を少し変えてみようと思う。
もしかしたら、従来の読者の方の中には、驚かれる方や、困惑される方などもおられるかもしれない。
だがその点は、よりよく読まれるサイトを目指してのことでもあるので、どうかご理解・ご容赦のほどをいただきたい。

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