
どうも、こんにちは。
シリーズ前回に引き続いて、2023年の祇園祭のレポート記事です。
今回は、前祭と後祭と2回ある山鉾巡行のうち、後祭の山鉾巡行の様子をお届けします。
前祭や、後祭の宵宮などは、今年は仕事などの都合で行けませんでしたので、後祭の山鉾巡行の様子だけでも、今回と次回との2回に渡ってお届けします。
まずはいつもの通り、交通アクセスから。
後祭の山鉾巡行は、京都市のほぼ真ん中を縦断する烏丸通りと御池通りの交わる烏丸御池の交差点からスタートします。

最寄りの交通機関には、
京都市営地下鉄「烏丸御池」駅があります
が、そこから上がっていきます。
開始の9時半までにはまだ時間があったので、烏丸通りを少し南へ、烏丸三条あたりによってみます。

そこには、祇園祭後祭の山鉾のひとつ「鈴鹿山」が。

この「鈴鹿山」についてはまた後述しますが、もう既に御神体人形が載せられていて、巡行に出る準備は整っているようです。


鈴鹿山を見ているうちに、烏丸御池の交差点に何人もの警察官が集まってきて、交通整理を始めました。

まずは御池通りから全ての車を閉め出し、そこに山鉾を集合させています。

続々と山鉾が集まってきます。



さて、烏丸御池の北東角に立って、全ての山鉾を撮ろうとしたら・・・何と私の立っている場所の前に、交通整理をしている警察の方々が並び出します。
うーん、これでは・・・。
しかしながら、まさか警察の方々に「写真撮るのじゃまだからどけ」などと言うわけにもいきません。
諦めず、地下鉄で四条烏丸へ、そこから走って、四条麩屋町の辺りまで先回りして、山鉾巡行を待ちます。

この時も確実に30度を超える猛暑だったと記憶していますが、なるべく他の人に邪魔されないようにあえて日陰部分を避けて・・・しばしの間我慢して待ち
ます。
先導のパトカーと巡行の先頭がやってきます。

気を取り直して、山鉾巡行を先頭から撮り直します。


後祭の山鉾巡行の第一番は「橋弁慶山」です。





この橋弁慶山は
シリーズ第413回で紹介したこともある、有名な
源義経と武蔵坊弁慶との五条大橋の戦いをモチーフにした山鉾です。
少し間を置いて第2番、「南観音山」です。

本シリーズの記事ではまだとりあげたことはありませんが、この後に巡行する「北観音山」と一組でとらえられるこ
ともあり、「北観音山の観音様は男、南観音山は女」などという説もあるとか。
この山の巡行の様子を少しだけ動画で。
第3番目、「浄妙山」です。




この山はa href="https://blog.goo.ne.jp/komichi/e/e264204377b8b0416dbd83ee0b8a49b9">シリーズ第411回でとりあげた、『平家物語』の「宇治川
の合戦」で活躍した一騎当千の僧兵・浄妙(じょうみょう)と、同じく僧兵・一来法師とをモチーフにした山鉾です。
一来法師が「悪いな、浄妙」と言って、最前線で戦っていた浄妙の頭上を飛び越えて敵陣の中へと飛び込んでいくというアクロバティックな場面を表現して
います。
第4番目、「八幡山」です。




古くから武士など多くの人々に信仰されてきた八幡神を祀った山鉾です。
本シリーズではまだ紹介したことはありませんが。
第5番目、「鯉山」です。



シリーズ第412回で紹介したこともある、伝説的職人・左甚五郎
が製作したと伝えられる鯉の像を祀った山鉾です。
「登竜門」という言葉の由来にもなった、中国・黄河の上流にある竜門山から流れ落ちる滝、竜門を登りきった鯉が竜になるという伝説。
それをモチーフにした人気の山鉾です。
またこの「鯉山」には、16世紀頃にベルギーのブリュッセルで製作された、古代ギリシャの詩人ホーマー作の叙事詩「イリアス」の一場面を表現したものタ
ペストリーなど、歴史的・芸術的価値の高い懸想品(けそうひん)も幾つもあります。
鯉山だけでなく、祇園祭の他の山鉾にも、こうした懸想品や装飾品がたくさんありますので、見た目が絢爛豪華なのです。
次に第6番目の「北観音山」が見えてきますが。

記事がそこそこの長さになりましたので、一旦切りまして、この続きは次回に。
今回はここまで。
*公益法人祇園祭・山鉾連合会のHP
http://www.gionmatsuri.or.jp/*祇園祭のHP(
八坂神社のHPより)
https://www.yasaka-jinja.or.jp/event/gion/*『京都妖怪探訪』シリーズ
https://kyotoyokai.jp/


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