嗚呼、負け犬の遠吠え日記
ある時は、しがない安月給サラリーマン。ある時は、怪しい政経オタク。そんなkomichi(子路)の言いたい放題を綴ったブログです。荒らしなど、ネットの悪質行為の問題にも取り組んでいます。

QRコード

QR

プロフィール

小路

Author:小路

最近の記事

FC2カウンター

カテゴリー

最近のコメント

最近のトラックバック

ブログ内検索

月別アーカイブ

リンク

このブログをリンクに追加する

RSSフィード

Powered By FC2ブログ

Powered By FC2ブログ
ブログやるならFC2ブログ

スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
【--/--/-- --:--】 | スポンサー広告 | トラックバック(-) | コメント(-) | page top↑
京都妖怪紀行(19):清水寺の不思議スポットいろいろ



 前々回前回に続いて、清水寺関連の記事です。

 冒頭の画像は、清水寺の名の由来となった「音羽の霊水」です。

 今回は「京都妖怪紀行」シリーズの一環として、清水寺にあるスポットの中でも、妖怪というか、不思議な伝承や因縁等のある場所をいくつか紹介したいと思います。

 清水寺は歴史の古い場所ですから、その分いろいろな話が伝わっているようです。
 それだけではなく、この清水寺の由来・縁起にも不思議な話がつきまとうのです。
 (清水寺に限らず、京都にはいろいろないわくがある寺社仏閣や旧跡等がたくさんあります。だから、「京都妖怪紀行」などというシリーズができるわけです)

 清水寺のホームページによれば、寺の縁起は次の通り(以下、引用)。



音羽山清水寺は、1200余年前、すなわち奈良時代の末、宝亀9年(778)の開創になります。
奈良子島寺の延鎮上人が「木津川の北流に清泉を求めてゆけ」との霊夢をうけ、松は緑に、白雲が帯のようにたなびく音羽山麓の滝のほとりにたどり着き、草庵をむすんで永年練行中の行叡居士より観世音菩薩の威神力を祈りこめた霊木を授けられ、千手観音像を彫作して居士の旧庵にまつったのが、当寺のおこりであります。
その翌々年、坂上田村麻呂公が、高子妻室の安産のためにと鹿を求めて上山し、清水の源をたずねて延鎮上人に会い、殺生の非を諭され、鹿を弔うて下山し、妻室に上人の説かれたところの清滝の霊験、観世音菩薩の功徳を語り、共に深く観世音に帰依して仏殿を寄進し、ご本尊に十一面千手観音を安置したのであります。
その後、上人は坂上公を助け、協力して更に地蔵尊と毘沙門天とを造像してご本尊の両脇士とし、本堂を広く造りかえました。
音羽の滝は、清水滾々と数千万年来、音羽の山中より湧出する清泉で、金色水とも延命水ともよばれ、わが国十大名水の筆頭にあげられる。ここより「清水寺」の名がおこったわけであります。





 まずは、清水寺の名の由来となった音羽の霊水です。
 この水は、枯れたことがない、とされています。




 このように多くの人で賑わっています。





 私も一口飲みましたが、大勢の人ごみにせかされて、せっかくの名水をゆっくりと味わって飲む余裕がありませんでした。
 もっと人の少ない時にでも再訪してゆっくりと味わいたいものです。

 ちなみに、1瓶あたり500円で持ち帰りできるそうです。



 境内にある建物のひとつ、随求堂(ずいぐどう)。

 



 ここは、胎内めぐりで有名です。
 本尊に、衆生の願い・求めにすぐに 随って、すべて叶えてくれるという大功徳をもつという秘仏・随求菩薩(ずいぐぼさつ)が祀られています。





 胎内めぐりとは、仏様の胎内に見立てた真っ暗な内部をめぐって、お願い事をするというものです。
 私もそこに並んで参加してみました。
 その中は撮影禁止となっていましたので、皆様にはここまでしか見せられませんが。
 本当に何も見えない真っ暗な中を、数珠みたいな手すりだけを頼りに進んでいきます。中には「目が慣れたから中が見えるようになった」という人もいましたが、私の場合は全然見えませんでした。
 それでもなんとか中に入って、お願い事をして、外に出ました。
 どんなお願い事をしたかは、秘密です。



 仏足石(ぶっそくせき)。
 朝倉堂の東庭に、お釈迦様の両足形を陰刻したといわれています。





 仏足を拝めば無限無量の罪けがれも消滅するとも言われています。
 また豪傑武者・平景清の足形とも、あの弁慶の足形だとも噂されているそうです。
 この画像ではわかりにくいかもしれませんが、かなり大きな足なので、こんな噂も立つのでしょう。
 お釈迦様って、かなり大柄な方だったのでしょうか?

 本堂前にある大小の鉄錫杖と鉄高下駄です。





 これも、弁慶が使ったものだという噂があります。
 私も実際に持ってみました。下駄はともかく、大きな方の鉄錫杖はかなり重かったです。



 百体地蔵堂(ひゃくたいじぞうどう)です。





 本当に100体あるかどうかを数えたわけではありませんが、とにかくたくさんのお地蔵さんが。
 もうちょっと近寄ってみます。





 なんというか、真っ暗な夜にこれだけたくさんのお地蔵さんが並んでいるというのは何とも圧倒されるといいますか……正直、ちょっと怖い気もしますね。
 今ほど医療技術も発達していなかった昔では、子供の死亡率も低くはなかったでしょうから、子供を供養するための地蔵等もよく作られたのでしょう。
 また、地蔵とかこけし(「子消し」)とかいうものは……貧しかった家庭では、いわゆる「間引き」が行われていたそうで、そのために作られたものも少なくないとか。
 そんな話を思い出しながら見ていると、何やら怖いような、哀しいような複雑な気持ちになってきます。



 奥の院です。








 小松和彦『日本魔界案内』(光文社)によれば、この奥の院の右脇には「夜叉神堂」が祭られているそうです。これは呪いや縁切りに効果があったとされる「縁切り夜叉」の現在の姿であると推測されています。
 弊サイトで続いている「京都妖怪紀行」シリーズにも加えたかったのですが、この時は暗すぎて確認できませんでした。
 っとこれは、前々回でも言いましたっけ。
 小松氏が「恐ろしげな姿」と言ったその姿を、次に訪れた時には是非見てみたいものです。


 奥の院と阿弥陀堂の裏側にも行ってみました。





 当日は京都・東山花灯路と、夜間特別拝観だったので多くの人で賑わっていました。
 しかしそれでも、さすがに奥の院の裏側は、人影もまばらで静かでした。

 それでも、ライトアップされた宝塔がありました。





 おや? 
 医師の柵に囲まれた何かが。





 柵の中には、このような池と可愛らしげな観音様と、そのすぐそばには水盤が。








 この観音様は「濡れ手観音」と呼ばれているそうです。
 そばにある水盤で水を汲んで、観音様にかけ、自分自身の心身の清めと諸願成就を祈願するそうです。


 さて、いろいろ回ってきました。
 他にもいろいろあるそうですが、一晩で全てを見て回るのはきついので、あと一箇所だけとりあげます。


 今回最後にとりあげるのは、そして今回私が最も注目したのは、次の碑です。





 これは、アテルイ・モレの碑です。

 清水寺の建立にも関わった、最初の征夷代将軍・坂上田村麻呂。
 坂上田村麻呂といえば、いわゆる蝦夷(えぞ、えみし)……つまり、朝廷に従わなかった東北等の異民族の地を征服しに行った武人として有名です。
 またその際に、多くの自社仏閣を建立した人物でもあります。

 その田村麻呂の征服事業に頑強に抵抗した蝦夷の首長として有名なのがアテルイ。その副将がモレです。
 最後は田村麻呂の軍に降伏。田村麻呂が両雄の武勇と器量を惜しみ、戦後の蝦夷経営に登用すべく朝廷に助命嘆願したが、許容されず両雄は河内の国で処刑されたと伝えられています。

 アテルイは、悪路王(あくろおう)という伝説上の鬼、あるいは大悪人の元となった人物だとされています。
 田村麻呂には、悪路王や大獄丸(おおたけまる)、鈴鹿御前(すずかごぜん)などの鬼と戦ったなどという伝説があります。
 各地に残る鬼や妖怪の伝説とは、朝廷(時の中央政府)に従わなかった人たちが、時の権力者の手によって人外の存在へと貶められてしまったものではないか。
 そして、鬼・妖怪退治の伝説の元となったのは、そうした人たちを朝廷側の人たちが服従、もしくは滅亡させていく過程を美化して描いたものではないか。
 有名な武将・源頼光とその部下・四天王が土蜘蛛という妖怪を退治する伝説があります。その伝説も、土蜘蛛と呼ばれた、朝廷に服従しなかった古代の豪族を、源氏という朝廷側の人間が倒していくという話が元になったとされています。

 「歴史は勝者の手で作られる」とはよく言われますが。
 各地の鬼・妖怪退治の伝説の裏側には、こうした歴史がある。
 妖怪などの由来や歴史を調べてみると、意外とこういう話が多いのです。
 アテルイ=悪路王伝説も、そうした例のひとつでしょう。
 こうして考えると、ちょっと複雑な思いにとらわれます。

 なおこの碑は、平安建都1200年を期し、両雄の故地、岩手県水沢・江刺地方出身の関西在住者や地元の有志の方々が、両雄の鎮魂・顕彰のために1994年に建立されたそうです。


 鬼や妖怪などについて調べて面白いことのひとつが、こうした「正史」には記されていない、歴史の裏側や一側面などがかいま見えてくることです。


 そんなことも考えながら、この石碑と、清水寺を後にしました。





ふるさとを守る脱米救国バナー ふるさとを守る脱米救国バナー


2ちゃんねる から子供たちを守ろう!
関連記事
スポンサーサイト

テーマ:国内、史跡・名勝巡り - ジャンル:旅行

kaetzchen
なので,耶蘇の私は今日,教会で塩ゆでのゆで卵を作ってきました.明日の日曜の早朝,CS (教会学校) のガキどもに,ゆで卵に色とりどりのフィルムを被させて,うどん用の湯煎器に入れて熱湯でフィルムを収縮させ,イースターエッグを作らせるのも私の仕事(笑)

教会の近くのパン屋さんで賞味期限切れのサンドイッチや菓子パンをもらって来て,肉やマヨネーズだけを取り出して,野良猫のにゃ~2に食わせると,覚悟してたように素直にしっぽの抜糸をさせてくれました.きれいに傷口が治っていたのは幸いです.まだエイズウイルスが発症してない証拠ですね.

私は東京の中学と高校の修学旅行には行かなかったので,京都の清水寺へ行ったのは妻と赤ん坊の長男を連れた「新婚旅行」ででした(車で行ったので駐車場に苦労した.長男のだっこも私の役割.記念写真が震災でゴミになったのが悔い).小学校は横浜だったので,当時は桜木町駅のホームに旧式の木製電車の修学旅行電車を仕立てて,日光へ行きました.と言っても,私の興味はその前年に廃止になった日光市電の廃線あさりでして,行方不明になった私は随分雷を落とされた思い出があります.元々,学校の先生の「権威」など,はなから信じてなかったせいもあるのですが.(^_^;)だから教育学部出身者から嫌われるんだろうな

# そういえば,朝日放送制作の「新婚さんいらっしゃい」では,子連れで出演する夫婦が多いらしい.この番組が好きなパン屋のおやじさんから教えてもらいました.山瀬まみちゃんはやっぱり不育症かな.(と,本文の内容と関係ないことばかり書いてすみません)
2010/04/03(土) 18:25:49 | URL | [ 編集]
kaetzchen
komichi さん,こんにちは.昨晩は夜遅くまで持ち帰りの仕事をしてたので,何とか2時すぎには事務屋へ書類を持ち込めました.厚労省や県へ提出する書類は数日前にメールで送っていたのでいいけれど,職場に提出するものが遅れてしまって(笑)

筑摩書房の『定本柳田國男集』を読むのは多少古文や文語体に慣れた人でもきついと思います(十冊ほど持ってたけど阪神大震災でゴミになった).もしかして,komichi さんはこちらの方を読んでしまったのでは? ちくま文庫から出ている版は現代文に直してあるので,かなり読みやすいです.でも,最近の岩波文庫もそうですけど,文庫版で千円超えると「大人買い」がしにくいですね(笑) 私自身,本を読むのが半分仕事なんですけど,版型の大きい医学書の方が安いんじゃないかと思ったりもします.

あとは文庫版というと角川文庫あたりのが読みやすいと思いますけど,先日書店で探したらこういう中高生向けの古典が消え失せているんですよね! あってもイースト・プレスのマンガばっかり(笑) 林芙美子の『放浪記』新潮文庫版すらない書店があるんです.幾ら少女マンガやコバルト文庫が好きな私でも,そりゃないでしょと思ったり.保坂さんの集英社文庫「いじめ」3連作もないんですよ~.

# そもそも,自民党のY氏の祖母の短歌「その子二十 櫛に流るる黒髪の おごりの春の美くしきかな」とか「清水へ 祇園をよぎる花月夜 こよひ逢ふ人みな美くしき」なんて,知ってる人どれだけいるんだと思ったりする.(^_^;)

さて.あと弐時間ほど税金泥棒して帰りますだ.
2010/03/31(水) 15:36:52 | URL | [ 編集]
kaetzchen
komichi さん,お忙しいのにコメントをども.某政治ブログで何か発言する度に,例の御大が追いかけてきては,あることないこと書きまくるので,あの人はヒマなんだなとつくづく思います(笑)

# こっちは明日も年度末の早朝出勤で忙しいのに.

愚痴はさておき,

>古文もダメな落ちこぼれだった私は、あの文語体(?)の文章を読めなかったのですから(苦笑)。

ははは.(^_^;) 柳田はもともと農政官僚でしたから,明治政府の文語体そのものの「官僚的文章」から抜け出せませんし.

私がPCに入れてる ATOK だと「文語体」というモードがあって,もろに文語体で打ち込むときちんと変換してくれたりします.普段は「話し言葉関西」にしておま(自爆)

古文というのは子供の頃から親しんでおかないと,いきなり中学や高校で読もうと思っても難しいですよ.新しい学習指導要領の小学校の日本語の教科書では3年4年で短歌や俳句が復活したそうな.やはり頭が柔らかいうちに古典教育はしっかりやっておかないといけないと思いますね.

私自身,教養の第2にラテン語を,第3にギリシア語を選択して正解だったと思うのは,西洋古典語を知らないと輸入科学は理解できないという祖父の言葉でした.思えば,幼い頃から祖父に中国古典を暗誦させられてましたから,家庭教育のあるなしが「バカ右翼」か議論の通じる右翼かという差になるんじゃないかなと「無政府主義者」として思ったりして(笑)

妖怪に関してはまた後日.おやすみなさい.
2010/03/31(水) 01:23:39 | URL | [ 編集]
小路@管理人
>kaetzchenさん

 いつもコメントありがとうございます。
 そして、レスが遅れてすみません。

 文京区を歩いたのはいつだったかな……。
 確か、何年か前の就職(転職)活動の時だけだったかな?
 ということで、そのあたりのことはすみませんが、よくわかりませんので。

 高校生の時、柳田國男の『遠野物語』を図書館の書庫から引っ張り出して挑戦しましたが挫折。
 何故なら、古文もダメな落ちこぼれだった私は、あの文語体(?)の文章を読めなかったのですから(苦笑)。

 最近では、水木しげる先生が漫画化してくれたので、わかりやすく読めましたし。
 また、最近は『今昔物語』や、『韓非子』などの古典も、ちょっとしたマイブームになっておりますので。
 相変わらず古文のことはようわかりませんし、なかなかきっちりと勉強する間もないのですが、こうした古典の面白さに少しだけ気付いたのも、妖怪研究の賜物でしょうか?(笑)
 
 また、本文中でもふれましたが、歴史上の敗者や被征服民などが、鬼や妖怪等に貶められているおいう場合も多いので、そういうところも妖怪研究をしてわかる面白い点のひとつです。
2010/03/28(日) 22:14:32 | URL | [ 編集]
kaetzchen
個人的には文京区の大日本雄弁会が思いつくのですけど,あそこも結構「もののけ」が多そうです(笑) 本郷の近くにあるのに,常に二流・亜流でしかありえない悲しさと言うべきか.

komichi さんも文京区を歩いていて,そんな気持ちになった記憶はないでしょうか? あ,別に「政治」の話じゃなくって.

# たまには「妖怪」の話を振ってみます.(^_^;) 柳田國男大好き
2010/03/27(土) 19:25:36 | URL | [ 編集]










管理者にだけ表示を許可する


トラックバックURL:
 久しぶりの,野良猫の「にゃ~2」の話題です.と言っても,今日はかったるいので,他にないのですが(自爆)  んで,「にゃ~2」は先日,茶トラのオス猫にしっぽの根元を食いちぎられまして,かなりダメージを受けてしまいました.てな訳で,また捕獲して簡単な縫合....
2010/03/27(土) 19:28:06 | Die Weblogtagesschau laut dem Kaetzchen

copyright 2005-2007 嗚呼、負け犬の遠吠え日記 all rights reserved. powered by FC2ブログ. designed by sherrydays.
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。