就職にも。
勉強にも。
夢の実現にも。
恋愛など、プライベートなことにまでも。
公私ともに、あらゆることに失敗・挫折し、ほとんど何もなくなった頃。
そんな、まさにどん底とも言うべき状態にあった頃の心情を綴った時に書いた文章が、ついこの間見つかりました。
今回はそれを紹介します。
そして今も私は、世間で言うところの「負け組」とか「ワーキング・プア」とか呼ばれる層の一人なのです。
そのことも、ここで改めてカミングアウトします。
いわゆる「ワーキング・プア」や「失業者」とか「負け組」とかいった、社会の底辺にいる人たちが、どんな気持ちになるのか。
あらゆることに挫折し、無力と絶望に打ちひしがれた者が、どういう思いを抱くのか。
それを理解するための一助にでもなれば幸いです。

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年末に古いUSBメモリーを整理していたら、昔書いたHTML文書が見つかりました。
その中には、私が失業者だった頃に書いた文章もありました。
それは私が、勉強にも、就職にも、夢の実現にも、プライベートなことにも……あらゆることに挫折し、失敗した時に書いたものでもあります。
いわゆる「ワーキング・プア」や「失業者」とか「負け組」とかいった、社会の底辺にいる人たちが、どんな気持ちになるのか。
あらゆることに挫折し、無力と絶望に打ちひしがれた者が、どういう思いを抱くのか。
それを理解していただく一助にでもなればと思い、以下にそれを(多少の加筆・修正を加えましたが)紹介します。
なんか、またもや1ヵ月も更新をサボってしっまた。
この暑さでバテた? いやいやそういうわけでもない。ちょっとばかし暑さには強いという自負がある。
忙しかったから? そういうわけでもない。確かに仕事(バイト)に、次の仕事探しに、墓参りにと忙しかった。しかし今よりも、もっと忙しい時期でさえ更新を欠かさなかったこともあった。
書くことがなかった? それも違う。一見平凡な日常からも、自分なりに感性を研ぎ澄まして観察すれば、いろいろなことが見えてくるものだ。
では何故か?
何というかここ1ヵ月間の私は、知力・体力・精神力ともに最低レベルの状態だったのだ。とは言っても(くどいようだが)夏バテや病気ではない、決して。これでも体力には少しばかり自信がある。
この最低状態はどちらかといえば精神的なものである。
この最低な無気力状態の原因は、自分でもわかっている(つもりだ)。現在の惨めな状態からくる無力感である。今の仕事は9月いっぱいで契約が切れるから、早いとこ次の仕事を探さなければならない。だが、この文章を書いている今でも……まだ決まっていない。
もっと職種や雇用形態を選びさえしなければ、比較的簡単に見つかるだろう。しかしだ。これから先のことを考えてできれば、「正社員」や「常勤職員」といった雇用形態で採用されたいと思うのだ。今はまだ「非常勤」でもなんとかやっていけそうなのだが、これから将来……30、40才になった時のことを考えたら、「正規雇用であった方がいい」と考えていたのだ。
しかし現実は甘くはない。
私にもかつて、夢とか野心とかいうものがあった。
私の場合、大学を卒業してから数年間ほど頑張った。その後、その道を断念。残念ながら芽がなかったのだろう。
その後、就職活動を始めたがうまくいかず、バイト生活を続ける。つまり、だ。普通に学部を卒業した時点で妥協してでも就職していれば、今頃はある程度仕事を覚えて中堅社員になっているはずなのに、「(企業から見て)全く何もない」という状態なのだ。そんな奴を、新卒と同じように採用してくれるという企業は、なかなかいない。
もちろん、私が就職に失敗し続ける理由はそれだけではないだろうが。しかし多くの場合、その経歴がのために書類選考の段階で落とされる。面接まで行けば、まだいい方だ。
今回も「苦戦中」といったところだ。「一寸先は闇」という言葉があるが、私の場合は、一寸どころか無限の闇が広がっているかのような気がしてくる。いや、それどころかブッラクホールが横たわっているのかもしれない。
このような状態が一定期間以上続くと、「これから先、俺はもう何をやってもうまくいかないのではないか?」という悲観主義的思考に囚われてしまう。そうなったら、仕事や職探し以外のことに対しても、やる気や自信が失せてくる。
もちろん、HP更新も含めたネット活動も。
ここまで読んだ読者の方の中には、「弱気になっちゃダメだ。くじけず、もっと頑張れ!」と言う人もいるかもしれない。その気持ちはありがたいのだが……残念ながら、私はあまり強い人間ではないし、また成熟した大人でもない。
「残念ながら……今回はご希望に沿うことができませんでした」と書かれた通知を志望企業から受け取るということが、何十回と続いたらどうなる?
面接で「それだったら、他で職を探すように」などと面と向かって言われたとしたら?
あるいは「悪いけど、キミにはウチの会社にとってウリになるようなものがない」などとハッキリ言われたとしたら?
そして、家に帰るたびに、家族から仕事ができないことを、一言も反論も出来ないまま状態で、あれこれ言われ続けたとしたら?
そのような体験を重ね続けてもなお、夢や希望を捨てず、いささかもやる気と自信を失わない、一言の愚痴もこぼさない人物がいたとしたら……私はその人を心から尊敬するだろう。決して皮肉や冗談ではなく。
それでもできる限りのことをやるしかないだろう。これからの生活がかかっているのだから。
私は世間でいうところの「負け組」であることを、カミングアウトしています。
いや、むしろ……ブログタイトルを『嗚呼、負け犬の遠吠え日記』としているように、それを「ウリ」にしているところもあります。
ただ……そんな私でさえ、このような文章を再びネットで公開することには、恥ずかしさというか、心理的な抵抗がありました。
何故ならば、私自身がまさに「どん底」にいた時の心情をストレートに……というか、感情にまかせて書いたものであり、それを読み返すと、あの時のつらく惨めな気持ちが再び湧き上がってくるからです。
正直なところ、私はこれを思い出のひとつとして、冷静に語ることができるほど成熟してはいませんし、また気持ちの整理がついているわけでもありませんでした。
このままずっと封印しておこうか。再び公開するのはもっと先のことにするか。当初はそう思っていました。
しかしながら、その封印を解いて、あの時の「惨めな負け組の自分」を語るべき時が来た。
そう思うきっかけがありました。
それは、
『カナダde日本語』2008年1月11日の記事で紹介されていた、以下のコメントです。
08/01/10 千年虫
この一言って
虫がほとんどの政治ブロガーに言いたいことに近い。さすがにそこまでは言い切らんけど。
元々幾つかのNGOの手伝いをしていて、その後仲のいい若い者がワープアに陥っているのに気付いて、何とかせねばいかんと柄にもなくネットで政治経済の話題を書いたり、複数の野党に文句をつけたりしちゃったんだけど、ブログやって政治を語ってるようなひとなら、現実でもバリバリ活動してると思ってたんですよ。
だけど去年の9月頃から、どうも違うんじゃないか? と……変なエントリーやコメントのやり取りを多数目にしまして……そして今年になって判断したのですが、政党に論理的な意見をメールしたり、(ここのように)ネット世論調査を積極的にやっている方、現実にコミットしている政治ブロガーってごく少数のようですね。
ニュース解説や思索の記述やコメント欄で気炎を上げるだけじゃリアルには何の影響も与えない、結局ヴァーチャルで終わっちゃうんですけど。リアルでやれないからネットで、なんてぇのは逃げですよ。もちろんアルファブロガーのような例外はいますけど、あくまでも例外。ネットでもリアルでも、というのがフツーです。アートでもビジネスでもそうですよ。だからアフェリエイトなんてものがある訳で。
政治ブロガーの皆様方が、半年間生活保護費相当で暮らしてその体験を周囲に語る、毎月五千円でいいから難民を支援する、その上で政党に意見を継続的に述べる、程度のことをしてくれているといいのですが。
ここで言われている「この一言」というのは、
その前の記事の題名でもあった「だったら、オマエがやってみろ!」という言葉のことです。
何をもって、「現実でもバリバリ活動してる」とか、「現実にコミットしている」とか言うのか?
まずそういう疑問が頭に浮かんできましたが、それは人によって違うのでは、という気もします。私としては。
また、「ほとんどの政治ブロガーに言いたい」とか、「結局ヴァーチャルで終わっちゃう」とか発言されていますが、その中には私も入っているのでしょうか?(笑) ……などということはいいとしても、多少なりとも政治や社会に対して意見を述べているブロガーさんたちの多くは、そのように見られていたのか?
そんな思いが浮かびました。
このご意見には、(失礼ながら)他にも私から反論したいことや突っ込みたいことがいくつかありましたが、本題から外れるので、ここではやめておきましょう。
まあ、そういう個人的な疑問等は別にしても……。
「政治や社会に関する意見を述べるのならば、多少なりとも現実にコミットするべき」という考え方自体には、同意します。少なくとも一理はある、と私は思います(ただし、その形ややり方は人それぞれあっていいのであって、それを他人がどうのこうの言うというのには、あまり賛成できませんが)。
それでは、私のできる「現実へコミットする」方法とは何だろうか? それを考えた時にまず思い浮かんだのが、
「負け組」や「ワーキング・プア」としての自分とその経験や心情を語る。それに基づいて、政治や社会を語るということでした。
それで、自分が一番惨めだった時のことも語ろうと思い至ったのです。

さて、あれから何年もたった現在。
今の私には、とりあえず職も収入もあります。
ですから、あの文章を書いた数年前よりは、はるかにマシな状況にあります。
しかしながら……
現在でも私は「負け組」の一人であることには変わりはありません。 一応、「正社員」という身分にはなっているものの、手取りの月給が20万を越えることはほとんどない。
夜勤や残業。休日出勤等があった月でも、手取り月給が20万を超えることは滅多にない。
ボーナスはない。
休日出勤であっても、休日手当ても出ない。
もう5年以上今の会社で働いていますが、その間有給休暇は一日ももらっていない。
そんな状態だから、結婚どころか、経済的な自立も出来るわけがない。
何かあるたびに、親や親族からはそのことでいろいろと言われ続けなければならない。
一体いつまで、こんな惨めで不安な思いを抱き続けなければならないのか?
そんなやりきれない思いを抱き続けなければならない……。
確かに、私が今の境遇になったのは、自分自身の責任や至らなさなどもある。それは認めます。
しかし、だからといってそれは……いつまでも、それこそ先が見えないほどにまで、惨めで不安な思いを抱き続けなければならないほど、重い罪なのか?
そんな愚痴のひとつも言いたくなってしまうのです。
……なんか、私の個人的な愚痴に、読者の皆さんをつき合わせてしまったようですね。
いわゆる「ワーキング・プア」や「失業者」とか「負け組」とかいった、社会の底辺にいる人たちが、どんな気持ちになるのか。
あらゆることに挫折し、無力と絶望に打ちひしがれた者が、どういう思いを抱くのか。
それを少しでもわかってもらうために……と思って書いてきましたが、読者の皆さんにも悪いという気もしてきました。
それに長くなったことだし、今回はそろそろこの辺で終わりたいと思います。
ただ、それを語ることが、何かの意味がある、何かのお役に立てるというのならば、今後も「惨めな負け組の自分」というものを、「そこから見た政治や社会」というものを語りたいと思います。

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