嗚呼、負け犬の遠吠え日記
ある時は、しがない安月給サラリーマン。ある時は、怪しい政経オタク。そんなkomichi(子路)の言いたい放題を綴ったブログです。荒らしなど、ネットの悪質行為の問題にも取り組んでいます。

QRコード

QR

プロフィール

小路

Author:小路

最近の記事

FC2カウンター

カテゴリー

最近のコメント

最近のトラックバック

ブログ内検索

月別アーカイブ

リンク

このブログをリンクに追加する

RSSフィード

Powered By FC2ブログ

Powered By FC2ブログ
ブログやるならFC2ブログ

浦嶋神社 @ 京都妖怪探訪(382)




 どうも、こんにちは。
 またもやシリーズ前回からしばらく経ってしまったような気もしますが、本シリーズの北京都編を再開します。

 日本人ならば誰でも知っている昔話、『浦島太郎』の物語。
 シリーズ前回申しましたとおり、その主人公・浦島太郎を神様として祀っている、京都府与謝野郡伊根町にある『浦嶋神社(宇良神社)』を訪れます。


 まずシリーズ前回の浦嶋公園から。






 その浦嶋公園から少し奥へ進んだ場所に神社への入り口が。








 この石碑にありますように、元々は『宇良神社(うらのかむやしろ)』というそうです。
 神社の宮司さんからいただいた資料によれば、創始年代は淳和天皇の天長2年(825年)だそうです。
 浦島太郎こと、「浦嶋子(うらのしまこ)」を「筒川大明神(つつかわだいみょうじん)」として祀っています。


 鳥居をくぐって境内へ。











 結構古そうな、なかなかに言い面構えの狛犬と唐獅子です。

 ところで以下も、宮司さんからいただいた資料に書いてあったことですが。
 雄略天皇の御代(みよ)22年(478年)7月7日、美女(乙姫のモデルとなった「亀姫」)に誘われて、「常世の国」へ行き、それから347年後、淳和天皇の天長2年(825年)に帰ってきたとされています。
 この話を聞いた淳和天皇は、浦嶋子を「筒川大明神」と名付け、さらに小野篁に勅命を下して、神社を造営させたと伝えられています。



 境内を進んでいきます。
 庭池のほとりに末社が。






 この神社にはいろいろなものがあるようです。








 これらの碑についてはわかりませんでしたが……。



 「力石」という石が。





 案内板の記述によれば、本庄浜の森下弥七、森下仲右衛門、八助などという人たちが、力試しで持ち運んだという話です。
 そういえば、シリーズ第375回で紹介しました「宮津・智恩寺」の境内にも、同じような石がありましたね。



 立派な船の模型が。





 これは「北前船」です。
 19世紀頃まで、北は北陸・奥羽地方から、丹後・但馬・出雲・石見まで日本各地を回っていたという大型の交易船です。
 この辺りも交易ルートの一部だったのでしょう。
 豊漁や海上安全などを祈願するために奉納されたそうです。



 『浦嶋神社』というだけあって、境内には浦島伝説にちなんだものもあります。
 「蓬山(とこよ)の庭」という庭です。








 庭の白砂部分は、海を模しているのでしょうか。
 浦島太郎こと浦嶋子が、乙姫こと亀姫に連れられていった神仙の世界、「常世(とこよ)」とか「蓬莱山」とか言われている世界を表現した庭だそうです(『万葉集』では「常世」、『日本書紀』『浦嶋口伝記』では「蓬莱山」と記されています)。
 今回の北京都行きでは回れませんでしたが、同じ与謝野郡伊根町には「新井崎神社」という徐福を祀った神社があるそうです。
 徐福といえば、秦の始皇帝の命で不老不死の薬草を得ようと神仙の世界「蓬莱山」を目指したとされる人物です。
 この辺りの海には神仙の世界がある。あるいは神仙の世界に通じていると、信じられていたのでしょうか。


 拝殿・本殿へ。








 奉納されていた絵馬です。





 礼拝して、中を見渡してみます。





 何故か、牛若丸と弁慶の絵が。




 
 浦島伝説の神社らしく、亀の甲羅とわら細工も奉納されています。












 ここを訪れたのは春頃でしたが、赤や黄色に染まった葉が。






 この時浦嶋神社では、神社に伝わる宝物を特別公開していました。





 これらの宝物の中には、絵巻などの他、あの「玉手箱」もあるという話でした。
 それを特別公開で見せてくださるというのですから、楽しみにここへ来ました。

 さすがに宝物の撮影は許可されませんでしたので、ここに写真は載せられません。
 実際の「玉手箱」は、「亀甲文櫛笥」という美しい細工が施された漆塗りの箱でした。
 宮司さんにあけてもらえいましたが……幸い、白い煙が出てくることも、私が白髪・白髭の老人になることもありませんでした(笑)。
 この箱は「玉櫛笥(たまくしげ)」といい、元々は文具や化粧道具などを入れるような箱だったそうです。

 この時、絵巻物や掛け軸なども見せてもらいました。
 以下はそれを直接撮影したものではなく、神社で買った絵はがきに撮されていたものですが。





 「浦嶋明神縁起」という十四世紀後半くらいに描かれた絵巻物だそうです。
 そこには、この神社に伝わる浦嶋伝説が描かれています。
 この浦嶋伝説は最も起源が古く、『万葉集』『日本書紀』『丹後風土記』などにも記されているそうです。そしておそらくは、現在伝わっている『浦島太郎』物語の原形となったものでしょう。
 以下はシリーズ前回記事の繰り返しになりますが、そのあらすじを。
 

 雄略天皇の時代、容姿端麗で笛の名手でもある浦嶋子という豪族の若者が居ました。
 その嶋子がある日、五色に輝く亀を釣り上げました。その亀は、たとえようもないほど美しい乙女に姿を変えました。
 その乙女は「神仙の国からやってきたのだが、浦嶋子に恋をした」というのです。
 嶋子は乙女に案内され、神仙の国へと天上にある神仙の国へと連れて行かれ、そこでその乙女・亀姫と夫婦になり、幸せな日々を過ごします。
 しかし3年経った時、嶋子は望郷の念を抑えきれなくなり、故郷へ帰ることを決意します。
 亀姫は泣く泣く、「再開を望むならばこれを開けてはいけない」という言いつつ玉櫛笥(=玉手箱:化粧道具などを入れる美しい細工の彫られた箱)を渡します。
 そして嶋子は故郷へと帰ってきましたが、嶋子が向こうの世界で過ごした3年の間、元の世界では300年以上の年月が流れていました。
 故郷はすっかり変わり果て、家族はもちろんのこと、嶋子を知っている人は誰も居ませんでした。
 地元の老婆から「300年前に嶋子という人が海に出たままそのまま帰らなかった」という言い伝えを聞いて、嶋子はようやく現状を理解します。
 嶋子はその後10日ほど生きていました。
 しかしその間、日毎に亀姫に再会したいという思いが募り、「玉櫛笥を開けてはならない」という約束を忘れ、その蓋を開けてしまいました。
 すると中から紫の煙が立ち上り、常世の国へとたなびいていきました。
 その煙を追っているうちに、嶋子は白髪の老人となり果てて亡くなりました。
 その時に、何首かの歌を遺して……。


 元々は「容姿端麗な地元豪族の若者」だった「浦嶋子」というキャラクターは、この物語が広まっていった後世には、より親しみやすくするために「貧しい漁師・浦島太郎」という風に改変されたという話です。


 この不思議な話の真相は。
 その意味は何なのか。
 私には知る由もありませんが、この伝説は確かにこの地に古くから根付いているようです。
 この浦嶋神社の他にも、「竜宮に通じる竜穴」とか、「浦島子(浦島太郎)が釣りをした場所」とか、「浦島太郎の両親を祀っている神社」「浦島太郎の弟の屋敷跡」など、浦島伝説ゆりかの地がいくつもあるそうです。
 この時は天橋立や経ヶ岬など、北京都の他のスポットも巡る予定でしたので、この辺りをゆっくりと散策できずに終わりましたが。
 またいずれ、この辺りの他の浦島伝説スポットもゆっくりと巡りたいですね。







 『京都妖怪探訪』シリーズ・北京都編。
 シリーズ次回は、近畿最北端の地で、京都最北の妖怪伝説地である、「経ヶ岬」を目指します。



 








 それでは今回はここまで。
 また次回。





*浦嶋神社(伊根町観光協会HPより)
http://ine-kankou.jp/kankou/sightseeing/000046.php




*京都妖怪探訪まとめページ
http://moon.ap.teacup.com/komichi/html/kyoutoyokai.htm




*この記事はこちらからの転載です。




ふるさとを守る脱米救国バナー ふるさとを守る脱米救国バナー



岩上安身責任編集 ? IWJ Independent Web Journal



2ちゃんねる から子供たちを守ろう!
関連記事
スポンサーサイト

テーマ:歴史&スピリチュアル・ミステリー - ジャンル:











管理者にだけ表示を許可する


トラックバックURL:

copyright 2005-2007 嗚呼、負け犬の遠吠え日記 all rights reserved. powered by FC2ブログ. designed by sherrydays.