嗚呼、負け犬の遠吠え日記
ある時は、しがない安月給サラリーマン。ある時は、怪しい政経オタク。そんなkomichi(子路)の言いたい放題を綴ったブログです。荒らしなど、ネットの悪質行為の問題にも取り組んでいます。

QRコード

QR

プロフィール

小路

Author:小路

最近の記事

FC2カウンター

カテゴリー

最近のコメント

最近のトラックバック

ブログ内検索

月別アーカイブ

リンク

このブログをリンクに追加する

RSSフィード

Powered By FC2ブログ

Powered By FC2ブログ
ブログやるならFC2ブログ

スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
【--/--/-- --:--】 | スポンサー広告 | トラックバック(-) | コメント(-) | page top↑
朱雀門跡 @ 京都妖怪探訪(312)




 どうも、こんにちは。
 このシリーズ記事を書くのは久しぶりなような気もする今日この頃ですが。
 
 今回は、このシリーズにふさわしく、鬼の伝説が遺されている有名なスポットを、しかも過去と現代の京都のど真ん中にあるスポットを紹介します。

 それが「朱雀門跡」です。
 現在ではその場所には、石碑しか立ってはいません。
 しかし平安京の時代には、都の真ん中を走る朱雀大路の北端に位置する、大内裏へ至る正門であり、最重要視された施設のひとつでした。
 そして朱雀大路の南端、平安京の事実上の正門であった「羅城門」(※シリーズ第147回を参照)と同じように、鬼や妖怪などの伝説が遺されいるスポットでもあります。


 そのひとつが、『十訓抄』十の二十に記されている、「源博雅が朱雀門の鬼より名笛“葉二(はふたつ)”をもらった」という伝説です。
 楽曲の天才として名高かった源博雅が、月夜に朱雀門前で笛を吹いていたところ、彼以外にも素晴らしい笛の音を奏でる者が居ました。
 しかしその相手の容貌は見たことのないような奇怪なものでした。しかし博雅は何も言わず、月夜の度に朱雀門でその人物と会っては一緒に笛を吹き続けます。
 ある時博雅は、その相手とお互いの笛を交換して吹いてみたところ、それが比類のないほど素晴らしい名器でした。
 その後も博雅は、月夜毎に謎の人物と会って笛を吹き続けますが、相手がその笛を返すようにも言わなかったので、そのままその笛を持ち続けます。
 博雅の死後、帝はこの笛をあらゆる笛吹き名人たちに吹かせますが、誰も博雅のような優れた演奏のできる者はいませんでした。
 その後浄蔵という名人が、その笛で博雅のような素晴らしい音色を奏でると、帝は感心して「博雅のように朱雀門で吹いてみろ」と命じます。
 それで浄蔵が、月夜に朱雀門でその笛を吹いてみたところ、朱雀門の楼上から「やはりその笛は名器だ」という声がしたので、この笛は鬼(人外の存在)のものだったことがわかりました。
 この笛は「葉二(はふたつ)」と名付けられ、天下一の名器として伝わりました。


 以上が、朱雀門に伝わる鬼伝説のひとつですが、そんなスポットを訪れました。




 まずは、アクセスから。
 JR山陰本線・二条駅前。





 ここには、京都市営地下鉄「二条」駅や、京都市営バス「二条駅前」停留所もあります。

 この辺りは平安京の時代、都の中央を南北に走る朱雀通りを走る朱雀大路という大通りが通っていました。
 現在では、千本通りという現在の京都市内を南北に走る通りのひとつが通っています。
 また、この辺りには千本通りと御池通りとが交わる千本御池の交差点もあります。


 
 

 現在でも多くの交通が行き交う場所ですが、今回は千本御池の交差点の北西角に位置する地下鉄「二条」駅の1番出入り口からスタートします。





 そこから千本通りを渡って、千本御池の北東角へ。
 京都市立中京(なかぎょう)中学校があります。






 千本御池の北東角、中京中学校の塀沿いにはこんな石碑も。





 ここは江戸時代に「西町奉行所」があった場所です。
 この辺り、千本通り(旧朱雀大路付近)は古くから都の中心部だったこともあって、いろんな遺稿や伝説があります。本シリーズで紹介したものでは、第159回の「大学寮跡」や、第48回の「宴の松原跡」とか、第223回から第227回の「神泉苑」等があります。
 他にも妖怪などの伝説が残るスポットもありますので、それらはのちのシリーズ記事ででも紹介していきます。


 話を戻します。
 そこから、千本通りの東側を北上していきます。






 少し北上していきますと、道沿いに和風の建物が見えてきます。






 その和風建築の北端に、小さな石碑が立っています。




 
 石碑には「此付近平安京大内裏朱雀門跡」と刻まれています。
 現在ではこの石碑の他、朱雀門があったことを示すものはありません。
 朱雀門も羅城門と同じく、平安京造営より後の時代には国内の疲弊と共に次第に荒廃して、「鬼や盗賊の住処」などと言われるほどに酷い有様になっていたそうです。そして安貞1年(1227年)に焼失しました。
 当時の国内の疲弊と荒廃、そして政権の統治能力の無さがうかがえる話です……。


 ところで、冒頭の「名器・葉二」の伝説の他もうひとつ、朱雀門には有名な鬼伝説が遺されています。
 それが、『長谷雄草紙(はせおぞうし)』等に伝わる、以下のような奇譚です。

 平安時代の前期から中期にかけて活躍したとされる貴族で文人の紀長谷雄(きのはせお)。
 この人物は双六の名手としても知られていましたが、ある時、奇妙な男から双六の勝負を挑まれ、怪しみながらもその勝負を受けました。
 長谷雄は、謎の男に朱雀門の楼上に連れてこられ、そこで双六勝負をします。
 鬼は「絶世の美女を賭ける」と言い、長谷雄は「自分の全財産を賭ける」と言って双六をしますが、勝負は長谷雄が勝ち続けました。
 負け続けているうちに、謎の男は次第にその真の姿を現していきます。彼の正体は、朱雀門の鬼だったのです。
 後日鬼は、約束通りに美女を連れてきて長谷雄に差し出しますが、「この女には、今から百日経つまで触れてはいけません。さもなくば残念なことになるでしょう」と言って立ち去ります。
 しかし長谷雄は、80日目で我慢できなくなり、その美女に触れてしまいます。その途端に美女は、溶けて水になって流れ去ってしまいました。
 後日、朱雀門の鬼が長谷雄の前に現れ、約束を守れなかったことを責めます。
 長谷雄は北野天神に祈って助けを求めます。すると天から「不都合な奴だ、立ち去れ」という声が響いて、これを聞いた鬼は逃げ去ってしまいました。

 以上が、この地に伝わる鬼の奇譚です。

 うーむ。
 万年モテない男の私でも。朱雀門の鬼とゲームで勝負して、絶世の美女を彼女にもらうことはできるのだろうか……。
 っと、いかん。またもやくだらない妄想を抱いてしまいました、すみません。


 しかしこうして見ると、朱雀門の鬼は、謎めいた恐ろしい存在として描かれている一方、遊び心もあり、風流などを好むキャラクターとしても考えられていたのが面白いですね。
 古くから日本人は、異界の存在も自分たちと同じように感情や感性のある者としてとらえていたのではないか。彼らに親しみを感じ、共存しようとし
ていたのではないか、という気もしてきますが。
 これは、朱雀門の伝説などに限らず、本シリーズで京都の妖怪伝説などを取り扱ってきて、しょっちゅう感じたことですが。


 最後に『長谷雄草紙』に描かれた奇譚についてひとつ。
 歴史的な事実からすれば、この話にはおかしな点があります。
 物語の最後で、鬼に責められていた長谷雄を救った神様・北野天神。この北野天神とは、元は菅原道真という人の霊です。
 長谷雄と道真は同時代の人で、しかも同僚なのです。
 さらに言えば、紀長谷雄は延喜12年(912年)に亡くなっていますが、北野天神ができたのは、それよりさらに後の時代です。北野の地に道真の霊を祀る社殿が造られたのは、天暦元年(947年)です。
 つまり以上の史実からすれば、長谷雄が「後世に神に祀りあげられた元同僚に祈って助けを求める」などということは、ありえないのです。
 おそらく『長谷雄草紙』の物語も、後世に創作されたか、あるいは後世に話を面白くするために一部変えられたか、されたのでしょう。

 ただ『長谷雄草紙』に限らず、こうした伝説・伝承や、伝奇モノなどには、昔からこうした矛盾なども抱えてきたものですから。
 こういう知識を元に矛盾をつつくのは、もしかしたら野暮なだけかもしれせんがね(笑)。






 それでは、今回はここまで。
 また次回。





*京都妖怪探訪まとめページ
http://moon.ap.teacup.com/komichi/html/kyoutoyokai.htm




ふるさとを守る脱米救国バナー ふるさとを守る脱米救国バナー



岩上安身責任編集 ? IWJ Independent Web Journal



2ちゃんねる から子供たちを守ろう!
関連記事
スポンサーサイト

テーマ:史跡巡り - ジャンル:旅行











管理者にだけ表示を許可する


トラックバックURL:

copyright 2005-2007 嗚呼、負け犬の遠吠え日記 all rights reserved. powered by FC2ブログ. designed by sherrydays.
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。