今年もまた、9月11日がやってきました。
それは、私を含む多くの日本人にとって、大いに因縁のある日付でしょう。
ひとつは2001年。
あのアメリカでの同時多発テロ事件。
無差別テロの恐怖が世界に知れ渡っただけでなく、日本やアメリカなどで「テロとの戦い」などという錦の御旗の下、様々な暴力と非寛容、不条理などが、愛国者のフリをした貪欲で傲慢な者たちによって強行されていった。
その転機となってしまった日でした。
もうひとつは、2005年。
あのわけのわからない「郵政選挙」「小泉刺客選挙」などという空前の劇場型選挙が、小泉主導・御用マスコミの協力によって行われ、小泉自民党が大勝をした日。
私に言わせれば、「新自由主義」という名の「棄民」「対米売国」「国民への自民党政治のツケ回し」が加速される、ひとつの大きなきっかけになった日でした。
今回は、前者(2001年)の9・11とそれからのことについて、私なりに振り返ってみたいとみたいと思います。
私にとって、最も身近なところにあった「9・11」といえば、次の2つでした。
(1)「アメリカのイラク支配によって、安い価格の原油が手に入る。原油価格が安定する」などというデマにも関わらず、ガソリンの価格が大幅に上がったこと。 (2)私の身近な人たちを含めた「日本人のアメリカ(の正義)に対する信仰」の根強さ を見せ付けられたこと イラクやアフガンで何の罪もない一般人を含む多くの人たちが犠牲になっている。
それだけでなく、「テロとの戦い」などという大義名分の下、国民の権利を犠牲にし、戦争と全体主義への道が開かれようとしている。
にもかかわらず、「アメリカのやっていることは絶対に正しい」と言い張る。その信仰にしがみつこうとする。
そんな日本人がたくさん居たようです。私の身近な人たちの中にも。
イラクやアフガンでアメリカの武力支配の破綻が誰の目にも明らかになってきた今。
そして、世論を先導し、あの間違った戦争を進めてきた者たちの嘘も明らかになり、彼らがすっかり落ち目になってしまった今。
非常で傲慢、かつ貪欲な人たちに騙され、扇動され、間違った戦争に手を貸してしまったという事実を。
そして、そのような扇動を行った人たちに今も支配されているのだという現実を。
我々日本人は、その2つの現実を、しっかりと直視すべきではないか。
そう私は思います。
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私にとって、バイクは生活に欠かすことのできない足です。
毎日の通勤や、仕事の移動等で必要です。
そんな私ですから、その燃料であるガソリンの価格は、非常に気になります。
アメリカが2001年の同時多発テロ以後に始めたアフガン・イラクへの武力行使以前よりも、ガソリンの価格が大幅に値上がりしました。
私の記憶が間違っていなければ、アフガン・イラクへの武力行使以前は、1リットルあたりのガソリン価格は90円台、高くても100円台くらいでした。
それが現在では、1リットルあたり130円以上します。
高くなった給油料金のレシートを見るたびに、とても苦々しい気分になってしまいます。
もちろんそれには、出費の問題もあります。ただでさえ安月給の私には、これが結構痛い。
ですが、その度に思うことがあるのです。
「嗚呼、我々日本人はなんと情けないのだろうか……。“アメリカのイラク支配によって原油の価格が安定し、景気は良くなる”というデマをかまされ、あんな酷い戦争に協力させられたあげく、こんなふうに騙されていたとは……!」 私がそのように考えるのは、次のようなエピソードがあったからです。
あれは確か、アメリカのイラク攻撃が行われた時期のことでした。私の記憶が間違っていなければ。
当時私は、インターネットでチャットをやっておりました。
ある時、チャット仲間との間で、アメリカのイラク攻撃のことが話題になりました。
「アメリカのイラク攻撃と占領が成功して、安い価格の石油が手に入って、景気が上がると思うし、良いんじゃないか?」 そんなことを言った人が、チャット仲間の中にいました。
まず、「原油の価格って、そんな単純なことだけで決まるものではないと思うのだがなあ……」などと私は突っ込みたくなってしまいましたが、それ以上に驚き、一瞬呆然としてしまいました。
言うまでもなく、アメリカのイラク攻撃によって、何の罪もない非武装の民間人を含む、多くの人たちが犠牲になっている……いや、もっとはっきり言えば、
「アメリカの攻撃によって殺されている」 のです。
さらに言えば、
実上の政治的・軍事的属国である日本に対しても、資金面での負担だけでなく、人的・軍事的な負担を……つまり「血を流すこと、犠牲になること」を要求してくるだろう。 それだけではありません。
おそらくは、
今後ますます、アメリカへの戦争協力がスムーズかつ大規模にできるための法整備なども推進されていくだろう。それは、「アメリカの都合のために、我々日本人を犠牲にしてもいい」というシステム作りへの道でもある。 もう既に……「解釈のしようによっては民間人がアメリカへの軍事行動に協力させられるようにあるかもしれない」という法律まで作られていたのです
(注1) 。
以上のことを考えれば、「石油価格が安くなって、景気がよくなりそうだから良い」などとは、とてもじゃないけど言う気にはなれません。
このことを、先の発言をしたチャット仲間に言いました。
すると彼と、彼に同調的だったメンバーたちは、言葉を濁し始めました。
まあ、その時はこれ以上突っ込むようなことは、私はしませんでした。
元々軽いノリで話していた場を、わざわざこれ以上重苦しくすることもないだろう、と思いましたので。
適当に話題を変えました。
それにしても……こんなことを、一体誰が言い出したのでしょうか?
「アメリカのイラク攻撃と占領が成功して、安い価格の石油が手に入って、景気が上がるだろうから、日本にとってはプラスである」
思い出してみると、そのようなことを考えていた日本人は、私のチャット仲間だけではなかったようです。
他にも、そんな予想(?)をしている人、それを信じている人に出くわしました。
そういえば、1991年に行われた、いわゆる湾岸戦争の直後にも、「湾岸戦争が成功を収めたから、原油価格が安定し、日本経済も安定した成長を続けるでしょう」などという予想をした学者がいましたね。
でも……。
その後の現実は、どうなったでしょうか? 言うまでもありませんね。 その後、原油もガソリンも、値上がりをし続けました。
経済も安定したでしょうか?
湾岸戦争後の日本はバブルの後遺症に苦しみ、現在の日本経済も、一部の勝ち組を除いて貧富の差は拡大し、庶民の将来不安は増すばかり。
肝心の「テロ対策」もうまくいかず。イラクやアフガンでは、アメリカ軍の占領支配にも関わらず、テロは収まらず、治安も悪化の一途を辿るばかり。
世界のテロ件数も、アメリカのアフガン・イラク攻撃以前よりも増えています。
さらに、「イラクに大量破壊兵器がある」とか「イラクには国際的テロ組織アルカイダとのつながりがある」との戦争を始める理由となった情報も、デマ(あるいは誤情報)だったことが明らかになりました。
このような現実を見せつけられるに至って、私は思いました。
「一体、誰だよ? あんないい加減なデマまで飛ばして、アメリカの戦争を支持させたのは? それに、あんなデマを真に受けて、「アメリカのイラク人殺し」の手伝いまでさせられた日本人は、まるでアホみたいじゃないか!? (先述のように)そもそも原油の価格は、「アメリカの戦争と支配がうまくいくかどうか」などという単純な要素だけで決まるものではないでしょう。
それに「アメリカに支配されたら経済がうまくいく」などというのも迷信でしょう。
アメリカの強い影響を受けてきた中南米諸国は、アメリカ的な市場原理主義政策によって貧富の格差が拡大し、経済的な苦境が長らく続いてきたでしょうが。
それに、関岡英之氏の
『拒否できない日本』 と
などでよって、
「年次改革要望書」 なるシロモノのため、日本の経済・社会構造がいかにアメリカの都合で歪められてきたかも、次第に明らかになりつつあります。
何故、何人もの日本人が、あのようないい加減な予測を信じ込まされて、アメリカの対アフガン・対イラク戦争を支持させられたのか? 何故、「アメリカさんに任せていたら、経済は安定する」などという迷信・幻想が日本人の間に広まってしまったのか? 結論から言いますと、
戦後の日本人が長らく抱かされてきた「アメリカ信仰」 というものが、私に言わせれば「魂の植民地主義」 というべきものがある。 そのように考えます。
さて、今回も長くなってしまったので、一旦切ります。
次回は本エントリーの続きで、私の間近で見た「日本人のアメリカ信仰」の例をもうひとつ紹介し、それについてさらに考えて生きたいと思います。
(注1): 例えば、1992年に成立した
『国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律(平成四年六月十九日法律第七十九号)』 、俗に言う「PKO協力法」の第二十六条をご覧ください。
(民間の協力等) 第二十六条 本部長は、第三章の規定による措置によっては国際平和協力業務を十分に実施することができないと認めるとき、又は物資協力に関し必要があると認めるときは、関係行政機関の長の協力を得て、物品の譲渡若しくは貸付け又は役務の提供について国以外の者に協力を求めることができる。 2 政府は、前項の規定により協力を求められた国以外の者に対し適正な対価を支払うとともに、その者が当該協力により損失を受けた場合には、その損失に関し、必要な財政上の措置を講ずるものとする。
「国以外の者」、要するに
「民間人にも協力を求めることができる」 という内容です。
より具体的には、医師・看護師などの医療関係者、港湾労働者、通信・運輸関係者、建設労働者・技術者など、様々な分野の人が協力させられることが考えられます。
さらに、法律の正式名称をよく見てください。
「国際連合平和維持活動
等 に対する協力に関する法律」。
わざわざ「等」をつけているということは、協力の対象を国連の活動に限定するというわけではないのです。
一見すると、国連の活動に協力するための法律のようですが、
「アメリカの軍事行動やそれを支援する活動にも協力できるような解釈(あるいは法改正など)をさせる余地を残している」かのようです。 こんなうがった見方をするのは、私だけでしょうか?
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