柳沢厚労相が先日、女性を「子供を産む機会」呼ばわりし、さらに「2人以上子どもを持ちたい若者」が「健全」などとした問題発言が波紋を広げている。
これに対し、「言葉狩りだ」とか、「大した問題ではない」とか、あるいは「誰だってあの程度の失言はあるではないか」などといった擁護論もあるようだ。
しかしながらこの問題は、単なる一政治家の失言というだけの問題ではない。
特に近年は、柳沢氏だけでなく、石原都知事など国家や社会の要職を占める人たちの口から、いくつもの問題発言が発せられている。
それらの根底には、「自分たちエリート・勝ち組(の男)以外は人でない。大衆は自分たちに奉仕するだけの奴隷か機械だ」という、恐るべき選民意識が存在する。 我々が本当に問題にすべきは、このような選民意識の持ち主がこの国の指導者層にごろごろと居るという現実であり、このような人たちに我々の生活と未来を委ねてもいいのか、ということである。


「女性は産む機械」と発言し釈明に追われている柳沢伯夫厚生労働大臣が、6日の記者会見で「結婚したい、2人以上子どもを持ちたい若者」を「健全」と表現したことが波紋を広げているという。
正直言うと、最初のうちは「失言のひとつくらいで、それほど騒ぐことも……」とも思っていた。確かに、決して誉められた発言ではないと思うが、「辞任しろ」とか迫るほどでも……などと思っているところが私にはあった。
だが……私のその認識は甘かったようだ。少なくとも、今回の柳沢氏の失言問題に関して言えば。ゆえに私は、最初の認識を訂正しなければならない。
1回くらいならば、「言葉のあやだったかもしれない」とか考えることもできたかもしれない。誰でもたいてい(というほどでもないかな?)、失言やうっかり口がすべるなどの失敗はあるかもしれない。民主党や共産党の議員だって、あの程度の失言をすることぐらい、私でも知っている。それだったら、とりたてて目くじらをたてるほどのことでもない、と私は考える。
「すみません。あの発言は撤回して、以後は認識を改めます」
「もういいですよ。次からは、気をつけてくださいね」
これで済んだらいいと思う。
しかしながら、柳沢氏の場合は、どうやらそんな生易しいものではないようだ。釈明をしておきながら、その間もなく後にまた同じような問題発言をやらかしてしまう。しかも、何が問題だったのかを、本人はよく理解していないようでもある。事実、野党議員の追求で、撤回する理由を理解していないことを認めたそうであるから……。
そうなると、これは「たまたま失言してしまった」とか、「単なる言葉のあや」だとか「言い方が悪かった」などという問題ではないのではないか? 柳沢氏の意識に根付いている価値観とか人間観などから、そういう発言が出てくるのではないか。もっと言えば、柳沢氏自身の政治家として、人間としての根本的な何かが、関わる問題ではないか、と考えざるをえない。